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はっぴいえんどは邦楽ロック全ての原点なのに若者への説明がなさすぎる

 タイトル通りこの記事ははっぴいえんどを知らない方に向けて書いているのだが、みなさんどこかしらで名前ぐらいは見たことがあるんじゃないだろうか。

 著名なミュージシャンがはっぴいえんどからの影響やらリスペクトやらを語っていたり、昨今のシティポップの流行の流れで目にしたり、記事のトップ画像にもした白の背景に四人の男の顔面が浮かび上がる不気味なジャケットなんてCDショップはもちろん様々な場所に飾ってあったりする。

 私もそうだったのでよくわかるのだが、何やら凄いバンドらしいということは知っていても、妙に手を出しづらいというか、名前は知っているけどどんなバンドなのかよくわからないバンドだと思う。

 オジサンたちと話していると当然のように「はっぴいえんどくらいは知っているよね?」みたいな風に話してくるし、そんな風潮がある割には、どんなバンドなのか調べてみても「みなさんご存知の通りはっぴいえんどは・・・」なんていう知っているの前提の記事ばっかり出てきたりするし、知らない名前がたくさん出てきて混乱するし、そもそもはっぴいえんどが活動していた70年代あたりなんて、油断すると普通にテレビが白黒の時代である。ンなもん暇さえあればスマホをいじるような生活をしている若者がサクっと理解できるかって話である。僕らにはせいぜい「LINEぐらいやってますよね?」ぐらいしか反撃手段がない。

 この記事でも言っているがはっぴえんどは「知っておくべきバンド」とよく言われる割には初心者に優しくないバンドなのだ。

 ということで今回は、そんなはっぴいえんどを知らない若者に向けて、時代のズレなどを考慮しながら「こんなに凄いバンドなんだぜ!」というのを紹介していこうと思う次第である。

後世の音楽に影響与えすぎ

 さて「はっぴいえんどはこういうバンドなんだぜ」という本題に入る前にはっぴいえんどが後の音楽にもたらした影響を先に紹介しよう。実例がなによりわかりやすいし、多分そっちのほうがはっぴえんどを聞いた時の感動が強まると思う。

 とは言えども見てもらえればわかるが、漫画でいうと手塚治虫レベルでとにかく影響を与えすぎなので、今回ははっぴいえんど解散後にメンバーが直接関わった音楽を紹介したいと思う。

 


YMO - Rydeen

 はっぴいえんど解散後にベースの細野晴臣が結成したバンド。

 1980年代初頭のテクノブームを巻き起こして売れまくった。「テクノポップ」というジャンルを確立させ、その後のエレクトロミュージックを中心に多大な影響を与えた。現在のエレクトロミュージックで彼らからの影響がないものはないといっても過言ではない。

 ちなみにオードリーの春日で有名な髪形の「テクノカット」を流行らせたのも彼ら。

 


大瀧 詠一 - 君は天然色

 はっぴいえんどのボーカル・ギタリストの大瀧詠一のソロアルバム「A LONG VACATION」の一曲。

 最近のシティポップムーブメントではなくて、昔流行ったほうのシティポップの中心的アルバム。

 今の若者のお父さんお母さん世代の超青春ソングで、その世代の人はほぼ百パーセント知っている。ウソだと思うなら聞いてみるといい。マジでみんなビビるぐらいに知っている。

 


ランカ・リー - 星間飛行

 はっぴいえんどのドラマー松本隆は、解散後様々な形で音楽に関わってきたのだが、その中でも著名なのが作詞家としての活動。

 大ヒット曲が多く、松田聖子の「赤いスイートピー」その他多くの曲の作詞を担当していたり、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」も彼の作詞。

 さらには我々の聖域、アニメ界隈にもはっぴいえんどの遺伝子が入ってきており、上に張ったマクロスFの超時空シンデレラランカちゃんの曲、「星間飛行」も彼の作詞。

 


鈴木茂- 砂の女

 はっぴいえんどのギタリスト鈴木茂が単身アメリカに飛び、アメリカ西海岸の強いミュージシャンを集めて制作したというファーストソロアルバム「BAND WAGON」からの一曲。オシャレすぎる。個人的にはむしろはっぴいえんどよりも好きかもしれない。ギターが超かっこいい。

 他のメンバーの作品に比べると若干知名度が低いが(というか他のメンバーが有名すぎるのだが)、どちらかというとミュージシャンズミュージシャンの側面が強く、知名度に反して彼の音楽に影響を受けたは非常に多い。

 余談だが、オフィシャルサイトで彼の自作エフェクターを購入することができる。普通にほしい。

 

 いかがだろうか。プロデュースやら彼らのレーベルから排出したアーティストまで含めるととんでもない量になるので、このあたりにしておくが、つい最近になるまで邦楽は元はっぴいえんどのメンバーによって支配されていたといっても過言でないレベルで影響を与えているのだ。

 

日本語ロックの原点

 我々にとってみれば「日本語でロックを歌う」ということについて当たり前すぎて逆に何言ってるかわからない可能性があるが、はっぴいえんどが活動していた60年代末期、70年代前半当時はロックというものは英語で歌われるものであり、日本語の歌が聞きたいなら歌謡曲か演歌でも聞いとけという状況だったらしい。

 そんな中、「日本語でロックを歌う」ということを最初に始めたのがはっぴいえんどというバンドなのだ。


はっぴいえんど - 風をあつめて

「いい曲だと思うが、革新的には聞こえないな」と思った方は正解で、その後スタンダードになったために普通に聞こえるのである。iphone1みたいなものだ。6sと比べれば「こんなもんか」という感想にもなるかもしれないが、1がなけりゃ5cも6sも存在しえない。

 はっぴいえんど以前にも日本語でロックを歌うことをしていたアーティストもいたみたいではあるが、「バンド形態で自分たちで曲を作り、日本語で歌う」というスタイルを日本に根付かせたバンドの一つがはっぴいえんどである。

 また、現代においてもしばしば叫ばれる「日本語はロックのメロディに沿わないんじゃないか」「メロディ言語として日本語は劣っているんじゃないか」という論争、このスタートラインもまたはっぴいえんど。

 上記の通り英語で歌うロックが大正義だった当時の状況下で、日本語で歌う彼らへの反発は強かった。やっぱり、何にでも新しいものにはケチつけたくなるのが人間らしい。「英語じゃ何いってるか内容がわかんねえだろ」「いや日本語でもどのみちろくに聞き取れないだろ」みたいな主張のぶつかり合いだったようだが、ここで書き出すと長くなるし僕もしっかり把握しているわけではないので一旦割愛。気になる人はぜひ調べてみてくれ。

 

いかがだっただろうか

 日本人による日本語のロック、その月面着地は彼らの足によるものであり、文化的にも単純に音楽的にも後世への影響は計り知れない。

 こんな物言いになると、なんだか歴史書読まされるような億劫さがつきまとって聴く気もなくなってしまうかもしれないが、良い意味で所詮音楽。耳で聴くだけである。だし、理屈不要の名曲ばかり。みんな聴ける。

 最後は僕の好きな一曲でお別れしよう。それではまた次の記事で。


はっぴいえんど - 暗闇坂むささび変化

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