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こんな売り出され方じゃ新山詩織がかわいそうだよ。

2016年現在の僕の推し女性シンガーソングライター。
音楽面では藤原さくらだけど、顔面部門では僕は圧倒的に新山詩織を推していきたい。

超かわいい。透明感が凄い。天使。顔面ドアップの顔面押しのMVなんか見てるとドキドキする。脈拍が早くなるのを感じる。

さて超かわいい新山詩織ちゃんなのだが、音楽性が本当に残念…
彼女の技術不足とか僕の好みとかそういうのじゃなくて、音楽を金と数字でしか判断してないレコード会社のオジサンたちの顔がチラチラする感じ。

全くけしからん。
こんなカワイイくて才能のある子をテキトーな音楽で売りだして、恐らく旬が過ぎたらポイっと捨ててしまうのは、世間が許してもワシが許さん。
今回はそういうお話です。

会議室で作られた音楽


新山詩織 - 今 ここにいる

みなさんこの曲を聴いてどう思いました?
僕は「なんか作曲側から本気が感じられないなあ…」と。

世の中には職業作曲家という人々もいまして、もちろん彼らは彼らなりにプライドをもって仕事に望んでいる、と信じたいんだけれど、この楽曲から伝わるのはただただ純粋な、無難。本当に仕事で作った感じ。いままでこういうJPOPが山ほどあって、それなりの売り上げを出す量産型音楽として発注されている感じ。

 

さて、このアレンジの具合、音楽的な側面から解説すると、一言で言えば”前時代”の一言に尽きるわけです。
2016年を生きる20歳の女の子が作る音楽さゼロ。夢をもって上京してきたシンガソングライターやボーカリストの女の子たちが、適当なタイアップに合わせて歌わされて、適当に人気が落ちたら解雇されてきた、そういうポジションにある音楽。

80年代から2000年代前半に掛けて成立した、いわゆるJpop王道アレンジなのだが、特徴を言うならば「量産しやすいアレンジ」
成立に関しては単に好まれた音だったという側面もあったけれど、音楽ビジネス全盛期に次々とアーティストを売り出していくために無難に売れて量産しやすいスタイルとして多用され、定着したみたいだ。

たしかに、喫茶店やテレビとかで流れてきて不快になるような音楽ではないんだけど、不快にならない止まり。作ってる側も絶対それはわかってるのに、うーん。

JPOPだからダメ!ってわけじゃなくて、言うなれば”JPOPの悪い側面”みたいな楽曲だと僕は思う。
例えば70年代にはすでもブッとんだアレンジも生まれてたし、大衆はそれを歓迎したってのに、それに比べて明らかに退化してる。山口百恵のプレイバックPat2とかヤバいよ。

 

今回の新山詩織の楽曲制作の裏側は正直知る由もないけれど、聴いた感じだと恐らく、レコード会社のえらいひとたちを納得させるためにソレっぽいのを作ってみましたって印象。聴く人によっては、そうとらえられてしまう楽曲になってる。

時代の流れ的に音楽がホントに売れないので、どこのレコード会社も堅実に売れそうな音楽ばかりを作っている印象がある。そりゃ、メジャー音楽の顧客層は音楽に没入してるような人というよりは、主婦のみなさんや音楽聴き始めの学生さんとかね、そういう人がメインだ。

だけども、だからってリスナーを舐めるのは違うぞ、と。音楽に詳しいわけでなくとも、聴いてる人たちは感覚レベルで面白いものとそうでないものを判別している。こんなことばかりをやっているのは業界が縮小していくのに拍車をかけているようにしか思えない。

 

本人のルーツフル無視

小学生の頃から、父親の影響で、70年~80年代のブルース・パンク・ロックを中心とした洋楽・邦楽を聴いて育つ。

Favorite Musician: チバユウスケ(The Birthday)、藤原基央(BUMP OF CHICKEN)、
くるり、斉藤和義、椎名林檎、フラワーカンパニーズ、
Carole King、Paul Weller

本人プロフィールの中にからの抜粋だが、こんな面白い趣味の美少女なかなかいないぞ。
フワッとフラカンが混じってる辺りがクソ好感度高い。
カラオケオールして一緒に「生きていてー良かったー!」って歌いたい。


新山詩織 - あたしはあたしのままで

それがこの有様よ。
Paul Wellerの普遍的なメロディーも藤原基央の内省的な曲作りもフラカンの心の叫びも、その他彼女がルーツとしている音楽全てに関してそうだが、1ミリもその遺伝子が受け継がれていない。
70年~80年代のブルース・パンク・ロックを中心とした洋楽・邦楽を聴いて育ったってのはどこいっちゃったんだ。

この曲から感じられるのはただひたすらオジサンだけ。新山詩織20歳を期待して音楽をつけたらオジサン、オジサン、アンド、オジサン。耳いっぱいにオジサン。勘弁してくれ。

僕はおじさんが作った音楽じゃなくて、このカワイイ女の子がアレソレ考えて工夫して作った音楽を聴きたいんだよ・・・。どこにでもある音楽じゃなくて新山詩織ちゃんの人生から滲み出てきた音楽を聴きたいんだよ。

 

僕はプロデュースの仕事っていうのは、ミュージシャンが表現したいことを後押しして実際に形に仕上げることだと思っているんだけど、
そして上の曲をプロデュースした島田昌典氏も同様のことを言っているんだけど、この曲において、そのプロセスが行われた形跡が感じられない。

僕はこの曲、オジサンたちが会議室で作って、最後に新山詩織に歌わせただけのように感じるのだ。

 


新山詩織 - 現在地

コチラはデビューしたての頃、新山詩織ちゃんが憧れているTHE GROOVERSの「現在地」を本人らと一緒にレコーディングしたもの。
今やってる曲と全然違うじゃねえか。
妙に渋すぎるチョイスだとは思うけど、さっきのプロフィールといい、やっぱこういう音楽やりたいんだろうな。心なしかいつもよりイキイキしてるように見えるし。
この感じを若い感性と合わせたら、2010年代の、新しい音楽が生まれると思うよマジで。

 

見た目の良さと広告でゴリ押して、売れなくなったら捨てるんだろうな

本人ら同士も交流があるみたいだし、今アツい女性シンガーソングライターとして是非とも藤原さくらと比べたいのだが、
去年まではお互い拮抗しているような具合だったが、2016年中盤に入り、一気に差がついた。藤原さくらはみごと時代の人の座をかっさらっていった。
もちろんタイアップの強さみたいなのも理由の一つではあると思うが、私はやっぱり音楽なんじゃないかと思う。

藤原さくらの音楽は、もちろんついたプロデューサーとの相性も良かったというとこもあるが、音楽好きが唸るサウンドに仕上がっている。そして一般リスナーも言葉ではどこがどう良いのか説明しなくとも、その音楽的な面白さを肌で感じ取っているだろう。

 

音楽の中身がなんだろうが、見た目がよければ好意的に聴かれるし、どんなクソな曲でも5回や10回聞かされると大体好きになる。人間はそういう風にできている。
そういう意味ではファンがいるのに疑問はない。あと少なからずこの音楽性が好きな人がいるのも事実だろう。

そして演奏とかクソうまいし、音質も相当ハイクオリティ、アレンジも教科書どおりとはいえお手本のようなきめ細やかさだ。
だがどれだけクオリティが高かろうと、耳からオジサン流し込まれるのは僕は勘弁だ。オイ詩織を出せコラ。

 

さっきからカワイイカワイイばっかり言ってたけど、厳しいオーディションを勝ち抜いてきただけあって、見た目だけでなく音楽的にも才能に恵まれている彼女。
せっかくいいものをもって生まれて、チャンスに恵まれたのだから、なんかちょっと変わるだけでも素晴らしいアーティストに化けると思うんだけどなあ。

もったいない。本当に。

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