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谷澤 千尋

2015/09/07

記事

標準化、画一化する邦楽ロック〜第一回〜

標準化とは何ぞや

今コレを見ているのに使っているかもしれない、スマホ。
例えば、あなたがスマホのケースを買いにいくとしよう。
なんでもいいのだがiPhone5sのケースを買うとして、ケース屋に行く。
お目当てのケースを見つけレジに行く。

 

店員 「あ、お客さんのiPhone、ボタンの位置違うからこのケース入んないよ!」

 

あなた 「ファッ!!??!?!?」

 

こんな経験はしたこと無いはずだ

iPhoneならiPhoneのケースを購入すれば、それこそ物凄い落とし方して本体が著しく変形してない限り、すんなりと入るはずだ。
これは他の製品パソコンの部品だったり、なんかの部品やネジだったりしても同じだろう。
何かの部品を交換する時、その部品は規格にそって作られており、規格が同じな限り容易に交換ができる、これを標準化という。

今となっては至極当たり前のことだが、実はつい最近までは当たり前ではなかった(と言っても2-300年前からその概念自体はあるが)
第二次世界大戦、アメリカはその圧倒的物量を効率良く使うために標準化を推し進め、標準化された兵器を開発した。
その代表的なものがこれM1ガーランドである。
企画の概念が反映された初めてのライフルである。
ダウンロード (3)

一方、日本軍が使用した銃は一本一本職人の手によって作られており、
例えば部品が壊れた時、他の銃や予備から部品をとって使用しようとすると、一つ一つ絶妙にサイズが違うのでうまく動作しなかったりと不具合が発生してしまう。

楽器の標準化

 

我々に近い話題で行くと標準化されたギターの代表はフェンダーのギターであろう。
例えば私の知り合いは64年製のフェンダーストラトキャスターを使用しているのだが、所謂ヴィンテージである。
それもただのヴィンテージではなく、ネックとボディ、またその他様々なパーツが64年製の何本かのストラトキャスターから調子の良い部品を選んで組み合わせた、ヴィンテージとしての価値よりもヴィンテージギターが持つ音色に重点を置いた、使えるヴィンテージギターとなっている。
正に標準化によって成せる技と言えよう。

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標準化されるロック、その構成

前置きが長くなった。
今回のテーマは今、ロックが標準化されてしまっていないかということについてである。取り分け邦楽ロックに於いて顕著であると思う。
直接邦楽ロックについて触れる前に私がこの記事を書こうとする経緯から語った方がいいだろう。

ラジオを聞いていたのだが、どちらかというと私の得意ではないジャンル、所謂dqn系の音楽が流れてた。
あまり好きではなくとも、聴いてみる価値はあると思い聴いたのだが

展開が非常に自由であった (良い意味で)

そういう聴き方に慣れてしまったのであろうか、知らず識らずの間に私はAメロ、サビ、と言った具合に音楽を分けて聴いていたのだ。
その例のdqn系の音楽を聴いた時にこのパートはどこの部分に当たるのだろうと何の違和感もなく当てはめようとしていた。
結果的にそのパートはAメロやサビといった概念では説明出来ないものであった。

そこで私にある疑問が湧いた

ロックとはそんなに形にはまったものであっただろうか?形にはまらないのがロックでは無かったのか?
ある意味軽蔑するようなニュアンスを持って聴いたdqn系の音楽、しかし陳腐化してしまっているのは逆に我々の範疇であるロックではないのか?
邦楽と洋楽の違いという記事でも語ったが邦楽は特にサビとそれ以外といった形式が強い

思い返してみれば我々は何の疑いもなくサビでは盛り上がるもの、Bメロはサビに向かっていくなどといったように音楽を分けてしまっている。
まるでパブロフの犬のように条件反射でサビは盛り上がる。

ロックが標準化されてしまっている。

(今更だが私はアツくなると文体が偉そうになる)

標準化されるサウンド

サウンドはどうだろう?
ギターサウンドについて言えば、プレイヤー側の人間達はジャンルにはよるが有る程度良い音という概念を共有している。
当然良い音を目指さないミュージシャンはいないだろうから、有る程度良い音に沿って音は似通ってしまう。

だが問題はギターのサウンドではないのだ。

サウンドを多少語弊があるかもしれないが、曲調と訳した場合の話だ

そりゃ邦楽ロックを沢山聴いている我々にとってみれば個々のバンドのサウンドの違い、
曲ごとのサウンド違いをハッキリと見分けることは出来るが、

年代と地域を問わずに広く見た場合、似てはいないだろうか?

特に最近の邦楽ロックにはジャンルの名前がない、敢えてつけるとするとオルタナティブロックとするバンドが多いと思う。

理由としてそれぞれ音楽性が異なるからだ、
だが、それは大きく違うわけではなく、全く同じでもない。
それぞれが絶妙に距離を取り合っているような状態だ。
よくあるバンドのプロフィールで

○○を武器に精力的に活動中

独自のサウンドに昇華させ

などとあるが私には彼らもまた絶妙に近すぎず遠過ぎずの距離を保ち続けているように思える。

これらは頻繁に言われる外人と日本人の違いに非常によく似ていると思う。

だが、日本人だから仕方ないと思うだろうか?
画一的に並べられるのが嫌なのでは無かったのか?

未だに話題に出ることも多いセカイノオワリのまだギターロックやってんすか発言
彼はこういうことを言おうとしていたのではないかと私は思う。

次回へ続く!!!!!!

画一化、標準化してしまっている邦楽ロック。
この記事、正直今のロックに対してかなり否定的であると私は思う、
だが逆を返せば音楽雑誌や大手メディアが言ってしまってはいけないことなのである。
否定する形にはなってしまったが、邦楽ロックファンの一員の私としても邦楽ロックを前面から否定するつもりはない。
だが警鐘を鳴らす必要性があるかもしれないという意見である。

次回は何が彼らを標準化させたのか?、標準化していてはいけないのか?などについてより掘り進めていこうと思う。

次回へ続く。
また意見や感想など頂けると次の記事がより充実したものにすることができると思いますので、よろしければSNS等でどうぞ。

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