凛として時雨 邦楽をsadisticに刺したバンド
「邦楽をぶっ壊したバンド」として挙げられるのが、9mm parabellum bullet、と、凛として時雨、だ。
この地下室TIMESでも以前に9mm特集で挙げられたように、大体この2バンドは並び称される。
が、そうひとくくりにくくってしまっていいものだろうか?
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスと、クリーム在籍時のエリック・クラプトンを同じように語ってもいいのだろうか。え、オールド洋楽ネタはわかりづらい? そんな情報弱者でどうする!(暴言を失礼しました)
じゃあ言い換えれば、ミスチルとスピッツを同じように語るようなもんである。それは90sの文脈でしか通用しない聞き方であることは、音楽好きならわかるだろう。ちなみにわたし(筆者)は、プロフ欄でも書いている通り、スピッツが最高に好きだ。
大いに話がずれたが、凛として時雨。
このバンドが9mmとどう違うのか、について語る……という方式はあんまり好きになれんが、その方向性で話してみると、
スリーピース
当たり前のこと言うな!
といわれそうだが、石をなげないで! 石を!
しかしこれは重要な点であるので、再三口にしておきたい。
凛として時雨の持ち味は、「高音ツインヴォーカル」をとりあえずはずしたインスト面で考えてみれば、徹頭徹尾「ギター+ベース+ドラム」の三要素だ。
9mmのような「バッキング+ガイキチギター」のようなギターの重なりはない(もっとも初期はこの傾向であったが、インディー末期のアルバム「♯4」でそれは打ち止めとなる)。
凛として時雨にあるのは、「変態ドラム+ぶっとすぎるベース」の上に、「超絶ガイキチギターが乱舞する」である。
擬音でわかりやすく言うと、
「ダカダカダカ! ズッチーズッチー(当「地下室TIMES」が提唱する「卑怯ドラム」)」なドラムに、
「どぅるどぅるどるどるどる」なベース、そこに、
「タッタラタラタラ(アルペジオ)……キャキャキャキャキャギュワーーーーン!」なギターが乗る。
そして、高音男女ツインヴォーカルで「サディースティック!」「ディスコティック君はUFO Style」「テレキャースティック!」と意味がわかるんだかごり押しなんだかわからん歌が載るのである。
まるで色物バンドな紹介をして、時雨ファンに殺されそうである。
だがこれが、非常にかっこいい。
これら要素がぜんぶ集まると……というか、ひとつひとつの要素だけで、すでに一般的バンドアンサンブルを逸脱しているにも関わらず、それがキセキテキ(時雨表記)に合致したところに、凛として時雨の魅力がある。本来なら、どれかひとつが「走って」バンド全体がぶっ壊れてしまうにも関わらず、彼らは邦楽バンド、邦楽スリーピースのあり方そのものをぶっ壊してしまった。
現在、ポストロックを経由した邦楽において、凛として時雨的な、「テクニカルなキメ多用」「卑怯ドラムなどのダンスビートの導入」「エフェクター多用」は、凛として時雨をリスペクトしつつ乗り越えようとして、様々のバンドが試行錯誤しているが、しかし先達は強い。
今もなお進化を続けるのが凛として時雨である。
では、バンドのエレメントたる各メンバーについて語ろう。
345
ベース。「みよこ」と読む。
凛として時雨の中では地味な扱いを受けていると思う。それは後述二人のあまりにあまりな変態性に比較してのことなのだが……。
だが、実際345がいなかったら、凛として時雨の存在感、持ち味というものは、相当変わってくる。ピクシーズにキム・ディールがいなかったら、やはりなんか違うように。キム・ゴードンとサーストン・ムーアが離婚して以降(マジよ)、なんかソニック・ユース本隊の動きが停滞しているように。
345の功績はふたつ。
まずは一般的に言われているように、TKに並び立つもうひとりのヴォーカルとして、凛として時雨の世界観を表現しているところ。
このヒステリックで「なんか何を考えているかわからない」ヴォーカルが、凛として時雨の「謎度」を高めている。
もうひとつは、345のベースはとにかく音がぶっといのである。
時折、ファズか何かで歪ませているようにも聞こえる。それが、ダンスビートだろうがカオティックコアだろうが、とにかく変態的な凛として時雨の楽曲を支えるのだ。
いわば、真の意味で、バンドの屋台骨。仮に345の代わりを探してみるといい。フルカワミキ? ちょっと違うだろう。意外とポリシックスのフミがいい線行っているかもしれないが、やはりアレはワイルドすぎる……。代わりがいないのが、345なのである。
ピエール中野
稀代のPerfumeオタ……という前置きはさておき。
いや、ネタで始まらないと、この邦楽きっての異常変態ドラマーは語れないのである。筆者もビビっているのである。
凛として時雨の出世作「Inspiration is DEAD」最初の曲「nakano kill you」を聞いてみるがいい。
メタルか!
のっけからバスドラをドコドコドコ! である。しかもピエールはこんなものではない。これは序の口である。
当地下室TIMESでも語られているように、凛として時雨のドラムには結構リバーブ系のエフェクトがかかっているが、そもそもこのドラマーはテクニックが異常なのであって、逆にエフェクトでマイルドにしなければこっちの脳がぶっ壊されてしまうのではないか、と思わされるほどである。
ほとんど手や足が常人の倍はあるんじゃないか、というくらい手数が多い。
ディスコビートのときは、時折ギターも歌もを置いて走る走る走る!
じゃあバンドを崩壊さすか、というと、これが全然違う。こんなに無茶苦茶なことを演っているのに、「シパタタタン! ピシッ!」という具合に、止めるところでは滅茶苦茶かっこよく止める。メリハリを見事にバンドにもたらしている。
凛として時雨の攻撃性の片翼を担っているのが、この日本最高峰のドラマーなのである。
TK
ギター。高音ヴォーカルの男のほう。歌詞担当、作曲担当、色男(おい)、アレンジ担当、ミックス担当。色男(お前どんだけTK好きやねん)。アートワーク(写真)担当。マスタリングもやってたか。
……要するに、凛として時雨の中枢である。この男がいなかったら何もはじまらない(その割にはブログもtwitterもやらない)。
最近はソロ(TK from 凛として時雨)での活躍も旺盛だが、だからといってこの男は……いや、この詩人がどれだけ「凛として時雨」に、己の芸術的精神の全てを捧ぎこんでいるか。
音の詩人、サディスティックな言葉の詩人。
まずエフェクター……とくにディレイを変態的に活用するギターワークは、まるで「包み込みながら刺す」かのようだ。本人もディレイについては一家言持っており、「ディレイで音を滲ませることが時雨サウンド」と言っている(「THE EFFECTOR BOOK vol.5インタビューより)。
凛として時雨を聞いていて、ギターの音が、こっちの空間全体を包み込むような感覚になったことはないだろうか? あるいは、まるで無数のビー玉が跳ねるようなアルペジオを聞いたことは?
エフェクターを用い、現実感がどこか不在な音を変幻自在に操るのだ。しかも、それらが全部「戦慄感」を与える。あんまりフワフワしてない。
「戦慄感」。ファンには「サディスティック」と評されるアレだ。もちろん、ディストーションサウンドを響かせるときは、鬼気そのものである。
ここまで音源載せてきて、そのサウンドが攻撃的でない、と思われる方はいないだろう。まるで刺すかのようだ。ちなみに筆者、何をトチ狂ったか、頭痛のときに時雨を聞いたときがある。もっと頭痛が酷くなった。
そして歌。
か細く聞こえるかもしれないし、心無いひとは「ハラから声出せ!」とも言ったりするあの歌声。
バカいっちゃいけない。あの高音で、ブチギレた歌こそが……どこか艶かしい、ヒステリックな歌こそが、TKなのではないか!
最後に、一番好きな曲を挙げて終わりにしよう。
邦楽をぶっ壊した、と書いたが、実はぶっ壊されたのは、まずもってTK自身であり、そして我々なのかもしれないのだから。
……この曲での、幻想と真実性の合間を縫うようにして、闇の水の中を泳ぐようにして、美を求める精神は、邦楽とか洋楽とか、現代性とか、言ってられない。