天才、宇多田ヒカル活動再開。新曲2曲に仕組んだ彼女の思惑について6000字。前編
赤ちゃんのキンタマの美しさにビビってニュースになる唯一の人物、宇多田ヒカル。
「人間活動」と銘打った長い休止期間を経て、2016年春、ようやく宇多田ヒカルが日本の音楽界にゆっくりと帰ってきた。
今回の記事では先日リリースされた2曲。「真夏の通り雨」「花束を君に」
みなさんは既に聴いただろうか?
この2曲、長い休止期間のことも含めて、最初に聞いたときは若干アッサリとした印象を受けるかもしれない。
だが、さすがは宇多田ヒカルと言えようか、私たちの想像を遥かに超えて様々要素が凝縮された、エゲつない曲に仕上がっている。
当サイトではこういったレビューの際には、できるだけ音楽を聴きながら読んでほしいと思っていて、
普段なら対象となる曲のYoutubeのリンクを埋め込んで紹介しているが、今回の2曲、両方ともYoutubeには挙がっていないし、フル視聴もできないみたいだ。
ただ今回に限っては買って絶対に損はないと思う。絶対に聴いたほうが良い。
正直言って今の日本の音楽シーンで最重要な2曲であると思うし、恐らく今後もかなり重要になってくるだろう。
あと単純にめちゃくちゃ良い曲。
ということで、「真夏の通り雨」「花束を君に」レビューと考察を始めていきたいと思います。
音楽表現の限界に迫るほどの深み - 真夏の通り雨
シンプルに繰り返すピアノが印象的な一曲。
突っ込んだ曲の解釈は野暮だと思うが「真夏」や「正しいサヨナラの仕方」「身送りびとの影」などといったワードからも最愛の人を失ったことが曲のテーマの一つであると解釈して間違いないだろう。
日本中が待ちわびていた宇多田ヒカルの新曲としては、どうなのだろうか。
人によって違うとは思うが、恐らく予想のちょっと斜め上くらい、予想していたまんまというわけでもないが、全く予想していなかったほどでもなく、
私としては「ほう・・・こうきたか」という感じ。
宇多田ヒカルの音楽に求めているもの、そして彼女自身の変化と音楽シーンの変化を加味すると、さすが宇多田ヒカルと言わざるを得ない作品であると思う。
この曲の面白いと思った点は、タイトル、歌詞、サウンド、MV、宇多田ヒカルという人物のバックストーリーなどのレイヤーを重ね合わせてみると、みなさんは何を感じるだろうか?
私は”郷愁”という感情が浮かんだのだが、これじゃなくとも恐らく似たようなものを感じたはずだと思う。
その感情をさらに重ねて音楽を聴くとまた違った側面が見えてくる。
愛するものを失った悲しみを、過去の記憶に照らし合わせてかみしめる感覚、そして私たちは各々の郷愁を通して、ある意味それらを追体験するような形。
宇多田ヒカルの今までの曲から見てもそうだが、様々な要素をそぎ落とし、シンプルな形に仕上がったこの曲では、
だからこそというべきだろうか、さらに人間の内面にフォーカスし、それらを描くという表現。
雑な表現にはなるが、非常に”深い”作品、J-popの枠を超え、音を用いた表現の限界に迫るような深みをもつ作品であると思う。
宇多田ヒカルの才能は今までも散々語りつくされてきたが、改めて彼女の才能に触れることができる素晴らしい作品だと思う。
また、音楽の表現技法的な側面からも新しい試みが用いられており、非常に面白い。
それらの中でも特に面白いと思ったのが曲の象徴ともいえる時折入ってくる「ドドドッドドドッ」というバスドラムのパターン。
恐らく元々の曲のテンポの倍で刻んだものと解釈するとしっくりくるのだが、心拍数が上がってきたかのような、なんともいえない不安を演出している。
以前の彼女の曲の中には実験的なビートの解釈もいくつかあったが、今回のこのパターンそれらと比べても斬新なアプローチといえる。
ハイハットやスネアといったものを一切使用せず、ビートとしての機能が損なわれる寸前のシンプルな表現。
一言でいうと非常にプリミティブ。
メジャーコードを鳴らしたら明るく聞こえるし、マイナーコードを鳴らしたら悲しく聞こえるのと同じ類のこれ以上細分化できないほど原始的な表現だと思う。
Utada名義の曲で”Kremlin Dusk”という曲では、今回のこれと似たようなビートを聞くことができるが、
今回のビートはそれの進化形ともいえるだろう。
あと注意深く聞くと、曲のエンディング部だけ小説頭だけキックのサンプリングに合わせてアタック音を強調する別のサンプルが重ねられている。
ここまで細かい表現になると意図を読むのがイマイチ難しいが、ゾッとするほど細かいところまで徹底的に作りこんであるようだ。
Utada Hikaru - Kremlin Dusk
(先ほど例に出た曲の参考音源)