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谷澤 千尋

2016/07/16

コラム 記事

天才、宇多田ヒカル活動再開。新曲2曲に仕組んだ彼女の思惑について6000字。後編

どんな気持ちでこの曲を作ったのかわからない - 花束を君に

今回のリリース、「花束を君に」と「真夏の通り雨」とで2曲、シングルという呼称はされていないし、どちらがA面B面というのもなさそうだが、
どの媒体を見ても基本的に「花束を君に」が先に来て「真夏の通り雨」が後にくる。
例えば両A面シングルと銘打った作品でも、どうしても先にくる曲の方が感覚的にA面のような印象になってしまう。

とまあ、今回のレビューも普通ならば「花束を君に」が先にくる方が普通だと思うのだが、
なんで後に来たかって、この曲、よくわからんから。
よくわからんというかどのように解釈していいのか不安というか。

 

この曲はざっくり言うと明るい方の宇多田ヒカルの方に分類されると思うのだけれど、
宇多田ヒカル公式ホームページの彼女の好きな音楽の一番最初が、ナインインチネイルズ。(ちなみに2番目はモーツァルト)
「ネガティブ王子」の異名まで持つ、トレントレズナー率いる暗い音楽の代表例みたいなのなんだけど、
今更言うのもなんだけど、彼女元々から結構根暗な人物。

「明るい方の宇多田ヒカル」って言っちゃうと何となくシックリきちゃうけど、
なんだかんだ改めて聞いてみると暗い曲とか切ない曲ばかりだし、
明るい曲も、底抜けに明るいかっていうとそうではなくて、暗いところから明るい方に向かっていくことによって前向きさを表現したり、
明るい曲でも暗いところを随所に挟んで相対的に明るく見せたりとか。
思っているよりストレートな明るさの曲ってのは結構レア。

話を「花束を君に」に戻そう。
別に言わなくてもわかるぐらい、この曲は明るい。
結婚・出産というバックグラウンドが影響しているのだろうが、今まででもトップクラスの明るい曲である。
「人間活動に専念する」=「今までは人間的な生活ができなかった」というありがちといってしまってはアレだが、有名になることのジレンマというか。
そういったしがらみから解放されて自由に曲を作ったら明るい曲ができた、と考えればそういう風に解釈できるのだが、
なんか色々ひっかかるんだよな・・・この曲。
明らかに意図的に違和感が残るように仕組んだとしか思えない違和感が・・・。


宇多田ヒカル - 誰かの願いが叶うころ
(先ほど例に出た曲の参考音源)

「花束を君に」の違和感

この違和感まず最初に気になるのが、歌詞。
明るい曲調の音楽に合わせるには明らかに場違いな言葉。
特に気になるのをピックアップしてみよう。

「始まりと終わりの狭間で」
「涙色の花束を君に」
「言いたいこと 言いたいこと きっと山ほどあるけど 神様しか知らないまま」
「抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」

特に暗いワードだけを選んでみたが、実際には曲全体がこんな感じの悲しいムードに包まれている。
公式ページにて歌詞を見ることができるので是非見てほしいのだが、歌詞だけみると、今回のような明るい曲の歌詞というよりはむしろ宇多田屈指の重たくて悲しい曲「 誰かの願いが叶うころ」のような曲調の方がシックリ来るような気がする。

もちろん歌詞の解釈は人によって違うとは思うけれど、
恐らくこの曲も「真夏の通り雨」と同様に、自ら命を絶った彼女の母親について書かれたものであると解釈するのが自然である。

ただ「真夏の通り雨」はどちらかというとまっすぐに悲しみと向き合っている曲であるが、
この曲はまっすぐじゃないんだよな・・・。
僕にはどういった感情なのかよくわからない。
歌詞や音楽的な雰囲気もそうだけど、歌い方もまた難しい表情をしていて、
出産を通したからなのかどうかはわからないが、とにかく今までの宇多田ヒカルでは絶対に聴くことができなかったほど”温かみ”や”優しさ”に溢れた歌い方。
彼女のバックグラウンド無しにもハッキリと伝わるレベルで”母性”を感じる歌い方である。
これはどのように解釈するのが正しいのだろうか・・・。

あとそういえばこの曲のタイアップ、朝ドラだぜ?
ろくに曲を聴いていないメディアが「朝ドラにぴったりの爽やかな曲です」なんて言ってたけど、ねえ・・・。
まあ「朝ドラなのに母親の死について書かれた重い曲です」なんて言えないだろうから、まあそうなるのは仕方ないと思うけど。

音楽の中に隠しメッセージを込めたのか・・・?

先ほどは歌詞の中の違和感について説明したけれど、この曲、音楽面でも(恐らくわかるように)違和感が仕組まれている。

「息」

この曲、歌の息継ぎ、ブレスではなく、単体で息をする音が収録されている。
息が挿入されている箇所は二か所で、一つ目が24秒くらいの場所。Aメロから1番のサビに入る隙間に息が入っている。
二つ目は3分5秒あたりからのサビの歌に隠れて小節の頭に合わせて6回息が入っている。こっちの方はヘッドホンで聞かないとわからないかもしれない。

さらに突っ込んだ話をすると、この息意図的に前半と後半で違うエフェクト効果がかけられている。
前半の部分はリバーブ(残響音)がたっぷりと掛かった息、普段リバーブを掛ける時というのはその音を遠くから聞こえさせたいという意図で使うのだが、
今回は恐らく遠くから聞こえさせるためのリバーブではなくて、もっと音楽的な使い方・・・。
意図自体を正確に説明するのは不可能だが、言うなれば効果音的な使い方。

そして後半は前半のものとは全く真逆の敢えてリバーブを使わない音。
さらにイコライザーやコンプレッサー、オートメーションというテクニックを使って意図的に近くから聞こえるようなエフェクトが掛けられている。
ヘッドフォンで聞くとわかりやすいと思うけど、メロディを歌っているボーカルよりも手前、ホントに目の前から息の音がするような音になっている。
油断すると聞いている自分の息の音のようにも聞こえる。というか私は最初そうかと思った。
「なんで俺音楽聴きながらハァハァ言ってんだろ・・・」と思ったら音源自体に息が入っていた。

さてさてこの意味深げな”息”、これはどのように解釈すればいいのだろうか・・・。
息自体も前半のものはため息のように聞こえるし、逆に後半はなんだろう。
前半と同様にため息のように聞こえるけれど、泣いているようにも聞こえるし、妄想が過ぎるかもしれないが出産のときの息って言われればそんな風にも聞こえる。

これらの息は音楽的な表現に必要な効果音と言われればそれまでだけれども、
何かしらの意図があって敢えて入れたようにしか聞こえないんだよな。

やたら前のめりなドラム

この曲のドラム、さすが宇多田のバックを務めるだけあって、異常に上手い。
音楽的に言うとこれ以上上がないほどハイクオリティーなドラムである。

ただこの曲のドラム、なんか変なんだよ。
曲調的に基本的にはゆったりとしたビートを刻んでいるドラムなんだけど、
一部やたら急かすような、こういった曲のセオリーから全く外れたようなフレーズを入れてくるんだよな。
具体的に言うとサビの後半部分なんだけど、2番のサビの歌詞でいうと「神様しか知らないまま」の部分。
ドラムに注目して聴くとわかると思うけど、なんでここでこんなに前のめりなフレーズを入れたんだろう・・・っていう感じになっている。
普通はこういう曲であの場面ではあのフレーズは使わないんだよな。歌が一番大事な場面で歌の邪魔をするというか。

もちろんドラマーのセンスでこうしたって言ったらそうとも言えるんだけど、
彼女の音楽の制作環境、音の最終決定は宇多田ヒカル本人ができる状態、
宇多田ヒカル主導で作られる制作環境で作られていることを考えると、恐らく彼女が指示を出してこういったフレーズになったのだろうと思われる。

ただ、なんでこうなったかの理由はわからない。

結局宇多田ヒカルは「花束を君に」で何を表現したかったのだろうか

上で挙げたように「花束を君に」という曲、歌詞と音楽、歌い方、そして音楽の要素、それぞれかみ合わない要素が入り混じり、溶け切らないままにパッケージ化されたような曲である。
先ほども書いたが、僕にはこの曲をうまく解釈できる自信がない。
これ以上、これ一歩以上踏み込んでしまってはこっちがやられてしまうかのような強い感情が込められた曲であると思う。

ただこうやって色々と妄想を繰り広げた結果、曲のどこか一つの要素に帰結して解釈するのではなく、
むしろ様々なものがごちゃごちゃになった状態をそのまま、ありのままに捉えると答えに近いようなものが出てきた。

恐らくこの曲で表現されたものに対して宇多田ヒカル本人が整理がついていないのではないだろうか。
整理のついていない気持ちを何かに喩えたり、どこかを依代にすることなくまっすぐに表現した結果こういった曲が生まれた。
こうやって考えると曲の中の矛盾が消えないだろうか?

彼女自身の矛盾を敢えてそのままに曲にし、受け止めるための曲。
これが「花束を君に」という曲の答えなのかもしれない。

稀代の歌姫は今なにを見ているのだろうか

さて、今回リリースされた2曲について長々とレビューを書いたわけなんだけど、
この2曲とも、あくまで私の解釈ではあるが、テーマは同じで「母の死について歌われたもの」であると思う。

他のレビューにも書いてあったが、この2曲、非常にパーソナルなテーマの曲である。
良くも悪くもだが、リスナーに向けたメッセージの曲というよりかは、彼女自身のために書かれた曲。

日本にて今後恐らく塗り替えられることのないだろうセールスを手にした彼女が、長い「人間活動」を経てリリースされたこの2曲。
”センス”や”天才”といった言葉でしか表現のしようがないほど、我々の耳に自然と溶け込んでくる言葉のチョイスや世界最高峰のサウンドクオリティ。
そして我々が求め続けてきた宇多田ヒカルという才能が紡ぐメロディー。

音楽面では間違いなく「人間活動」を経てさらなる上の次元まで昇華されたが、
彼女自身が今何を思い、何を見ながら音楽を作っているのか。

恐らくリリースされるだろう宇多田ヒカルの新アルバム。
その中で一つの答えを見つけることができるのではないだろうか。

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