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2017/09/12

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ロキノン系を聞いてるヤングが、懐メロ老害オッサンになる日

結論


結論から言うと、90年代後半から、ゼロ年代に渡って隆盛を極めた、いわゆる「ロキノン系リスナー」は、もうオッサンである。
認めよう、いい加減認めよう。
我らが聞いてきたナンバーガールやスーパーカーやくるりや中村一義との蜜月から、
もう10年以上
経ってることをいい加減認めよう。
アジカン、エルレが出てからも、もう10年近く。彼らは立派なベテランである。ホルモンだってそうだ。
ああ、年月は流しそうめんの如くスルスルと流れる。

そんな我らも、懐メロ老害オッサンになりつつある。

 

懐メロ老害オッサンとはなんぞや

 

我らが、ナンバーガールやスーパーカーやくるりや中村一義を聞いてたときに、

「やっぱりレッド・ツェッペリンやジミヘンを聞かなきゃ、ロックは語れないよ」
とか、

「今のロックなんてチャラいゴミ、”ホンモノ”を聞けっつうの。例えばキング・クリムゾンとか」
とか、

「最近のロックリスナーは、ナンバーガール聞いてるくせして、はっぴぃえんどにまで遡らない。これではロックの伝統が消え去る」
とかって、

こんな顔で語るようなオッサンたちのことである。
neko-doya
ハラたつわー。いまだにハラたつわー。きっと皆さんも同じような経験をしてきたことと思う。

しかし、今になって思うのだが、我々も、我々よりも若いリスナーに、バンド名こそ違うものの、おんなじよーな構造の言葉を投げかけてはいないだろうか。

「SEKAI NO OWARIなんてチャラいゴミ。”ホンモノ”を聞けっつうの。例えばスピッツとか」

「最近のロックリスナーはKANA-BOONを聞いてるくせして、9mm・時雨からナンバガ、ART-SCHOOLを経由してソニック・ユース、ピクシーズまで至る轟音ロックの歴史を遡らない。まったくバカじゃねえの、ロック偏差値足りないんじゃないの、ちょっと調べればわかることじゃないか。あいつらの音楽愛なんてその程度のもんなんだから、KANA-BOONと一緒に四つ打ちwwwロックwwwが消え去るのも時間の問題だろwwwwww」

さあ、レッツ鏡を見よう!
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これらを総合して「懐メロ老害オッサン」と呼ぶ。

 

なぜそうなってしまうのか?

2アンチエイジング

いろいろ理由がある。列挙していこう。

意外に思われるかもしれないが「ヘタに新しい情報をかじっている」からなのである。
この場合の新しい情報、とは、新しいロックの動向だったり、リスナー層の動向だったり。彼ら懐メロ老害オッサンは、意外にも新しい音楽を「聴いては」いるのだ。
ただし、本気になって聴いてはいない。
認めようとしないのだ。新しい音楽の存在も、新しいリスナー層の存在も。

オッサンほど、最初から予防線を引く。
言い換えればそれは「感動したくない」のだ。
また、試聴はしている。……自分がホンモノのオッサンになっていることを認めたくないから。
ここで「試し聴きした。やっぱり最近の音楽はゴミだった」
と言いたいから、試聴する。自分は分別ある大人だというアッピールである。即ち、これも予防線である。

もう一つ意外な事実を言うとすれば、彼らの半数は自ら「古参」を名乗っている。
もう半数は「いや、俺はオッサンじゃないし!!!」とムキになって反論する。
この二つは、同居する。
「オッサン」を認めたくない人たちは、ムキになって反論する。これはわかりやすい。
では自ら「古参」を名乗る人は? 成熟した証か?
違う。本当に成熟してるひとは、先のような「KANA-BOONwww」とかって言わない。
なぜ自ら「古参」を名乗るかというと、それだけ未熟だからだ。彼らは、「大人ぶりたい」んである。本当に成熟してないことを自分でも薄々知っているから。
いわば、ひねくれた、ムキになってないぜ俺は的アッピールの反論なのだ。本当はムキになってるんだけどね。言わずもがな、この場合の「古参」とは「オッサン」と同義語だ。

総じて言えば、懐メロ老害オッサンにとって、音楽とは、ひとつの武器である。
自分よりも年下の、経験の浅いリスナーを、「自分がただ長年聞いてきただけ」というアドバンテージでもって、偉そうに説教かましたいから。そのために音楽を使う。難しい言葉を使えば「差異化ゲーム」というやつだ。簡単に言えば「偉ぶりたい」のだ。

一番タチが悪いのは、オッサンになって社会的立場、発言権を得た人たちが、かつて自分が惚れてた音楽を、無条件に肯定し、権威化し、「古典」とし、
「俺達はそれをリアルタイムで聞いてきたリスナーなんだぜ!」
と偉ぶるのだ。
だいたい、各種の商業的リヴァイヴァル現象や、バンド再結成ムーブメントは、このニーズによって支えられている。

我らいかにして生くべきか

オッサンよ……懐メロ老害オッサンよ……

まあ、そうでないまともな「オッサン」もいる。もちろん。
筆者が見てきた、まともなオッサンとは、

  • しゃしゃり出ない
  • ことさら否定しない
  • 可能性を信じている
  • 静かにものを言う
  • SNSに始終張り付いていない
  • 自分の好きなものを好きなペースで聴いている

こういったところだろうか。
さて、何で懐メロ老害オッサンが悪いのか、本当の意味をここで語ろうと思う。

それは
「彼らが何一つとして”新しい価値観”を創造していないから」
だ。

上記「まともなオッサン」のパターンというのは、人から見れば「静かだな……」と言われるかもしれない。
それをヘイトして「おとなしくなったなwww ただ黙ってるだけじゃんwww」とも言われるかもしれない。

しかし、まともなオッサン……いや、「まともなリスナー」は、ただ黙ることだけを選んだのではない。
「自分の価値観に忠実に生きる」ことを選んだのだ。

自分の耳を信じ、自分の音楽哲学を深化させ、場合によっては今までの通説とも違った「新説」をもぶち上げる。
おそらく、本当の「大人」「成熟したリスナー」とは、こういう姿を指すのだろう。

それを「価値観の洗い直し」という。
一度、「彼らが若いころ」流行した音楽を、「今の」成熟した視点でもって、掘り返し、洗い直し、ダメなものはダメといい、本当にいいものは、静かに、しかししっかりと「いい!」と言う。
その「価値観の洗い直し」は、既存の音楽哲学、音楽論説とはまた違った視点を、音楽シーンに供給する。
渋谷系再評価、クサメタル再評価、ファンク再評価、既存のテクノ・ハウスを「エレクトロ」としての再評価、クラブ・ジャズ・ムーブメント……いずれも、ただ音楽を聴いてきて、年下を見下すだけのひとたちには生み出せなかった「価値観」である。

それら「価値観の洗い直し」が音楽シーンを一度に塗り返すことは、ないだろう。
そしてその地味さでもって、やっぱり「成熟した大人」をバカにするひとも現れるだろう。

だが。
成熟したリスナーは、年下をバカにしてる暇もなく、偉ぶる暇もなく、ただ自分の信じる音楽道を行く。
それは、自分の「残り時間」が少なくなっていっていることと無関係ではないが……。

この記事を読んでくれているひとが、どちらの道を選ぶのかは、自由だ。
だが、一言だけ、この記事を総括する言葉だけ置いていく。
歴史は繰り返す

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