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スピッツの歌詞のレベルの高さは人間国宝に認定していいレベル

実に残念である。
外人が日本語が理解できないのが非常に残念だ。
日本語が理解できなくてスピッツの歌詞が直接伝わらないのが残念で仕方ない。

日本人なら殆どみんな知っている国民的バンド、スピッツ。
日本が世界に誇ることのできるバンドだ。

だが、その良さ、まあ確かに歌詞が理解できなくとも、
音楽だけでも十二分にその良さは伝わると思うが、
歌詞を置いておいてはスピッツを100%楽しめているとは言い切ることはできない。

それぐらい偉大に歌詞がいいバンドであると思う。

ということで今回はスピッツの歌詞の魅力に迫って行きたいと思う。

一行一行の奥行きが凄い

歌詞の奥行きがすごい。
どういうことかと言うと、歌詞の中で直接語られていない部分まで想像することができるということだ。


スピッツ - 運命の人

ああーいい歌やなー
この曲の中で特にヤバイと思う部分は冒頭のこの一節である。

バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日
スピッツ アルバム「フェイクファー」より”運命の人” 歌詞を引用

”人生の意味がわかった”という部分で一見哲学的なように見えるが、
ここは、この後に続く歌詞でなんとなく意味は理解することができる。
だがここじゃない。
 

ここでのポイントは、その後に続く”日曜日”という部分である。
月曜日でも金曜日でもなく、日曜日なのだ。

例えばこの部分か月曜日だったとしら、会社に行くのが欝で現実逃避気味に”人生の意味がわかった”という意味の歌詞になる。
実際の”日曜日”というたった五文字で

  • 休みの日
  • 内容的に誰か、恋人とかそれに準ずる人に会うためにバスに乗っている
  • 誰かに会いにいく、そんな気持ちの中で些細な出来事で人生の意味がわかってしまう(わかったような気になる)

という内容まで推測することが出来るのだ。

行の最後についている何気ない一言、たった五文字でここまで語るのだ。
なんという立体感、奥行きのある歌詞だろう。


 

またそれだけでなく、歌詞全体、音楽全体での雰囲気作りもすごい。
要するに言葉のチョイスや演奏、歌の表情、それら全体を通してさらに深く歌詞の世界観を表現しているのだ。

またこの曲を例に説明しよう。
この”バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日”という言葉がでてきたであろう時のこの歌詞の主人公の表情はどんなものだろうか?

満面の笑みだろうか。
絶望したような表情だろうか。
小難しいことを考えているような表情だろうか

前後の歌詞と歌い方も含めて私は”内面で少し嬉しい気持ちになっているが、決してそれを外に出さずに澄ました顔をしてぼんやりしている”イメージがわく。

まあ私の感想といったらそれまでだが、言葉だけでは表せない、言葉の一歩先の表現がそこにあって、確かに感じ取ることが出来るのだ。
例えるならば、「一流の役者が完成された台本と計算された演出の中見せる、言葉に出来ないあの表情」をしていると思うのだ。
彼らスピッツは文字と音楽だけでそれを表現してみせている。

 

表現のバリエーションと発想の豊かさが凄い


スピッツ - 名前をつけてやる

名前をつけてやる 残りの夜が来て
むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て
名前をつけてやる 本気で考えちゃった
誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな

スピッツ アルバム「名前をつけてやる」より”名前をつけてやる” 歌詞を引用

大体どの曲の歌詞も発想が凄いが、この曲の発想はマジで天才的だと思う。
全体を通してはっきりとしない歌詞だが、まあ解釈としてはシンプルに恋に落ちちゃって我慢できない!みたいな感じだろうか。

凡人なら「恋に落ちちゃった!今すぐアイニージューアイオンチュー」みたいな感じになりかねないシチュエーションだが、
天才草野マサムネは、そんな感情に「名前をつけてやる」ことで解決した。
発想の跳躍といえようか。

そもそもこの歌詞のなかでは愛だとか恋だとかいうワードは一切出てこない。
ただ「似たもの同士が出会い」「むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て」しまっただけである。
そもそも名前なんてない、この歌詞の主人公だけが持ち得うる、彼だけの感情である。

そんな言葉にするのが難しい曖昧な感情に強がりをこめて「名前をつけてやる」のだ。
 


 

あと、アレがアレしちゃってアレしちゃうことを”むき出しのでっぱり”と表現するあたりや、
”マンモス広場で8時”と何故か気が抜けたような言葉のチョイス、非常に秀逸であると思う。
こういったおどけた言葉のチョイスが親近感というかハードルの低さと言うか、ユーモアというか、
スピッツの曲の全体に流れる少しゆるい空気感を生み出している。

 

歌詞のメロディへの乗り方が気持ちいい


スピッツ - さわって・変わって

天神駅の改札口で 君のよれた笑顔
行きかう人の暗いオーラがそれを浮かす

ぬるい海で溶ける月 からまるタコの足
言葉より確実に俺を生かす

スピッツ アルバム「三日月ロック」より”さわって・変わって” 歌詞を引用

ポイントは日本語がそもそも持っている言葉のアクセントだ。

言葉のアクセント、例えば”ありがとう”なら”あがとう”と、「り」にアクセントをつけて発音する。
(関西弁だと”ありがう”と「と」にアクセントがつく)
ということは、もちろん日本語で書かれた歌詞にも歌以前に言葉としてアクセントが存在するのだ。

そこで、一度上の歌詞を歌わずに朗読してみていただきたい。

てんじんきのかいさつちで
ぬるいみでとけつき

いかがだろうか。
行ごと、言葉ごとの歌になったときの言葉のアクセントが一致している。

どちらかと言うと歌詞に使いにくそうな言葉を使い、
文構造も異なる形にも関わらず一致している。

一般的に言葉としてのアクセントと歌のアクセントが一致すると、歌詞が容易に頭に入ってくるらしいし、
逆にアクセントが極端にずれていると、どれだけはっきり発音していたとしても、”歌詞カードを見ないと歌詞がわからない曲”になってしまうのだ。

言葉のアクセント、そのあたりは流石スピッツといったところか。
アクセントを完全に理解したうえで、気持ちよく歌に乗せ、歌詞としての意味を成立させる。
むしろアクセントをマスターしすぎて、それを使って遊んでるぐらいの余裕まで垣間見える。

 

いかがだっただろうか

もはや説明不要のポップネス。
ここまで計算され、完成した歌詞は私たちリスナーの想像力をブーストさせる。

さて、この記事のタイトルだがココまで凄い歌詞と音楽を作る彼ら、
この完成度ならば例えばスポーツとか伝統芸能なら、物凄い賞を貰っているレベルに違いないと思うのだ。
これからも末永く日本の音楽をリードし続けて欲しい。

ということで長くなったが今日はこのあたりで締めよう。

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