ceroの新曲「街の報せ」邦楽と洋楽のいいとこどり
以前よりファンの方には申し訳ないなと思うのだが、正直に言えばこれまで僕はceroというバンドをなめていた。
このバンドのオシャレさ加減、ファッションもオシャレ、アートワークもオシャレ、たたずまいもやってることも、何なら経歴までオシャレときている。少なからずそういう風に”オシャレなもの”として聴いているファッション的なファンが一定数いることは否定できないと思う。
そのことについても僕がceroをなめていた一因であることは否めないのだが、それよりも音楽的な側面でなめていた。
ceroに限った話ではなく、邦楽のブラックミュージック志向の音楽全般にいえるのだが、僕は無意識に本場のブラックミュージックのそれとは別のものとして聴いていたのだ。
ちょうどサッカーでいえばJリーグとセリエAとかのヨーロッパのリーグを一緒にして語らないのと同じ具合だと思う。
こういう風に書くとさらにサッカーファンまで的に回してしまいそうだが、結果から言えばワールドカップで日本は正直強いとは言い難いし、日本のチームと海外のチームで対戦してもやっぱり結果は…お察しのとおりである。
だが、弱い日本のJリーグに価値がないかと言えばそうではないだろう。JリーグにはJリーグの楽しみ方があるのだ。
日本のブラックミュージックもそういうものだと思っていたのである。アメリカで発祥したブラックミュージックを取り入れて音楽をする以上、サッカーで言えば体格差みたいな具合で、人種的文化的にも日本のブラックミュージックがJリーグ的なものになってしまうのはある種仕方がないことだし、本場のそれにはない日本には日本独自の面白さがあって、そういう楽しみ方をするものだと思っていたのだ。
とまあこの先続く言葉はみなさん察しがついていると思うが、いわゆる「ceroの新曲を聞くまでは…」的なヤツである。
ceroの新曲、街の報せ、レベルが完全にセリエA。さらに言えば元々持っていた”邦楽としての良さ”まで共存している。とんでもなくカッコいい。
cero、NYに行き黒くなる
cero - 街の報せ
先日リリースされたceroのニューシングル「街の報せ」
今回はトランペットに黒田卓也とトロンボーンにコーリー・キングを迎え、NYで録音された。
この黒田卓也の参加が今回のシングルの面白さの一つであると思う。彼はジャズの名門ブルーノートレコーズから初めて作品をリリースした日本人。言わば野球でいう日本人初のメジャーリーガーみたいな人。
今年9月にリリースされた彼のZigzaggerというアルバムにceroが参加し、その付き合いで今回のシングルにはceroに黒田氏が参加するという形になったらしい。
因みに先ほどのJリーグの話の延長だが、Zigzaggerの収録の際のことについてcero荒内氏がインタビューにてこのように語っていた。
黒田さんがJ・ディラっぽいのやってくれって言ったら、ドラムのザック・ブラウンとベースのラシャ―ン・カーターが「ははは」って笑いながらすぐやってくれて。みんな当り前にディラっぽいのとか、アフロっぽいのとかが引き出しの中にあって、なんでもすぐにできちゃうっていうか。俺らが1年くらいがんばって「こんな感じかな?」とか言いながらやってたものが、デフォルトで装備されている。しかも、その先を行っているっていうね。すごいなと思いました。
喩えるなら日本人なら誰でも普通に麺をすすって食べることができるが、外人が頑張ってもなかなかできないみたいな感じだろう。
話を戻そう、NYでの経験がceroにどれくらいの影響を与えたかは本人たちでないと知りえない部分ではあるのだが、とにかく今回の曲、前の曲よりも格段に黒人度が上がっている。黒人特有のリズムの訛りやタメ感のようなものが完全に再現されていて、正直日本語の歌が入ってこなかったら邦楽だとわからないレベルにまで黒人している。
特にリズムトラックがインタビューにも出てきたが、めちゃくちゃJディラっぽい。
J Dilla - Flowers
歌詞が良い
ただ黒人っぽいのを再現できてるから良い音楽かと言えばそうではない。黒人っぽいだけで良いのであれば本場の音楽聞いとけば済む話だしな。
ceroの新曲がめちゃくちゃ最高だと私が興奮しているのは、黒人的なのを再現した上で日本人だからこそできる表現が共存しているからだ。
一言で言えば歌詞がとても良い。
夏に映画館出た時 終電が終わった駅前
波も涙も温かい 忘れていたのはこんなこと
街の報せ待ってる
僕が一番グッと来たのは上の部分。
ceroも含めて最近のオシャレミュージックをひっくるめて”シティポップ”と呼ばれているが、都会で暮らすことの葛藤などを表現するのがシティポップであるとするならば、その真髄がここにあると思う。
全文引用するわけにもいかないので特に僕が好きな部分を抜粋したが、歌詞に注目したりしなかったりして全体を一曲通して聴くと、自然とちょっと涙ぐんでしまうような寂しさとか郷愁とも似た、言葉で表しにくい感情に浸ることができる。
残念ながら、というものなんだが本場のブラックミュージックは歌詞でどうこう何かを表現しようというのが割とおざなりな感じで、日本語に訳すと「ベイビー愛してる、君しかいないぜベイビー」のようなツイッターみたいな語彙力のラブソングか、そうじゃなかったらなんかにブチ切れてたりするか、麻薬の話とかそういうのばっかである。文化的にも歌詞は、メインの音楽の色付け程度という認識みたいだしな。
みんなもっと聞け
ceroの新曲のヤバさ伝わっただろうか。本場の音楽的なカッコよさと邦楽の繊細な表現、両方のいいとこどりの音楽だ。
ただ曲全体を通してみると、シングルとしては、というとこもあるとは思うが、刺激の強い音楽がズラっと並んでる中では少し刺激が足りないのだろうか、妙に注目されていないように感じる。分かりやすい指標で言えばこの記事を書いている現在、Youtubeでの再生回数が10万とチョイくらいになっている。今までのceroの知名から考えてもちょっと少ないように感じる。
とまあ、結論としては今回の新曲マジでめちゃくちゃカッコいいからみんなもっと聞こうぜ!という具合だろうか。あと話が取っ散らかるので触れなかったがカップリングされている2曲もとてもいい具合に仕上がっている。曲数こそ3曲だが結構濃厚でミニアルバム的なニュアンスで聴ける好盤だ。
ceroというバンド、結成から12年、今回のリリースで今までよりも一層音楽的な面白さの幅が広がったように感じる。これからが楽しみである。