まるでゴミのように消費され、使い捨てられるリスナーのみなさんへ
近頃よく"何が消費者だ"とよく思う。
いつかの記事で
画一化された若手邦楽ロックバンドに飽きたリスナーが邦楽から魅力的な音楽を見つけ出すことができず洋楽へと流れ出ていってしまっている。
と書きはしたが、探してまで良い音楽を聴こうなんていう奇特な人間が世の中にどれほどいるだろうか。
名前@9/10~参戦 とかツイッターの名前欄に書いている人たちのその多くにとって、バンドや音楽はプロフィールを埋め、所属欲求を満たす為の物という側面が強い。彼らは今日も#OORerさんRT のようなハッシュタグをつけてファン同士の繋がりを楽しんでいる。
彼らは"私はこのバンドが大好きな人間です!"というレッテルに執着しているし、そのバンドで満足もしているし、他の音楽なんてある程度どうでもいい。だから「こんなバンドもあるよ」なんて声をかけるのは限りなくただのお節介だ。やめて差し上げろ。
そんな彼・彼女らがほかの音楽に手を伸ばすタイミングがあるとすれば、新しくできた彼氏の影響か、フェスやライブハウスで近しいバンドを見かけた時くらいだろう。繰り返すようだが探してまで聴いたりはしない。時間やお金を割いてまで自分の見識を広げたり、まだ自分の知らないもの、より良いものを探し追及する必要などどこにもないので当然の話である。
あたかも悪いことのように書いてはいるが、彼らの心理は至極健全だと思う。これは音楽に限らずあらゆる娯楽に転がっている話だ。
僕だってろくに本なんか読まないくせに好きな作家を訊かれれば、とりあえず良く知っている村上龍を挙げる。食事だってより良い物を追及したりはしない。動物はウサギが好きだと言い張るものの、これはたまたま小学生の時に飼っていたからだ。きっとこれがたまたまマウンテンゴリラとかだったら現在もマウンテンゴリラが好きだと言い張っているところだろう。
"彼ら"などと、あたかも他人事のような言いぐさをしているが、僕も、この風潮を是としないあなたも、最初に手に取った音楽はきっとその当時の流行り物だったし、それ以外を見つける術も理由もなかっただろう。
まず手が届くところにあるもの、またはたまたま手が届いたものを好きになる、それが好きだと自分に他人に言い聞かせる。普通の行動心理だ。まっとうな人ならばアヒルの子供のように、たまたま最初に見た物に惹かれ執着するだろう。
わざわざ好きでもないのにマイナーな音楽を掘り出しては、それを聴いていることがあたかも自分のステータスであるかのように知識をひけらかし散らすような人間の方が、かなり精神的に歪んでいるし語弊を恐れずに言うなら"間違っている"。バニラファッジを聴いている中学生なんて、嫌だろう。
繰り返すようだが彼らはとても健全だ。
話が逸れた。
結局この話で僕が何を言いたいのかと言うと、そんな健全な少年少女は"音楽を売る側の都合"に消費され使い捨てられてる。という話だ。
「ああ、自分のことだ」
と少しでも思った人は、おせっかいの大きなお世話だと思って是非続きに付き合ってほしい。
彼らの行方
消費され使い捨てられる。と表現はしたが一人の人間が可燃ごみのように焼却炉で燃やされ消失してしまう、なんてことはない。では音楽ファンだった少年少女は大人になりどこへ行ってしまうのだろうか。
僕の狭い人間関係から取った統計によれば、音楽を聴かなくなる。もしくは当時聴いていた音楽を惰性で聴き続ける。
学生時代に持て余していた暇も余力も社会に出れば仕事に消えてしまう、という人が多い。そうなると音楽自体に手が伸びなくなるか、もしくはその好きだったバンドの新譜を買う事すらなく当時のままのiPodやウォークマン、カーステレオをただなんとなく移動時間に聴くだけとなりがちだ。
別に悪いことでは決してないが
それはちょっと、寂しいことじゃないだろうか。
リスナーのその後まで面倒見てくれない
音楽は芸術かもしれないが、売る人間にとってはビジネスだ。芸術的に素晴らしいかどうかはひとまず置いておいて、売る事、売れる事が何よりも優先される。
いらぬ勘違いを避けるために明記しておくが、ここで指す"売る人間"とは音楽を作っている・演奏している人間ではない。まさに売っている人間のことだ。
そして利益を優先すれば何かしらの犠牲はでてくる。それは使い捨てのミュージシャンであったり、使い捨てのリスナーであったりだ。
しかし先日から再三話しているように、弱り切った現在の音楽業界はとりあえず"今売る"ことで精一杯で、彼らにリスナーのその後を支えるような膂力は残されていない。
たとえばJohn butler trioなんかはオーストラリアではアルバムを出すたびにチャートのトップを飾るようなスターバンドだ。このライブ映像から確認できるように、ファン層は若者から髭を生やした壮年、果ては腰が心配されるようお婆ちゃんまで様々。わざわざ海外と比較して人種コンプレックスを促すわけではないが、自身が置かれている状況は自ら外と見比べることでしか確認できない。
さて、どうだろうか。日本の大規模野外フェスと比べてみなさんは何を思うだろうか。40代のおじさんはセカオワを見ながらおいしいビールが飲めるだろうか。
いや、揚げ足を取られない為に予防線を張るのであれば、たしかに日本にも若者から50代まで楽しめる素晴らしいバンドはいる。しかしその比率はかなり少ないだろう。特にキャリア10年以内の若いバンドでは滅多に見ない。
先ほども述べたように、まず手が届くところにある音楽を手に取る。有名で乗りやすくなんとなく共感しやすい歌を唄う音楽、そこから入る。何も間違ってはいない。いやむしろボカロや売れ線邦楽ロックといった音楽は、音楽に踏み込む入口としては極めて優秀だ。
しかし今の邦楽はその次、その隣がなかなか見当たらない。入口として用意されている音楽の味付けが濃すぎて、それ以外の味を受け付けなくなってしまうように思える。サビ中毒状態とでも言うべきか。その麻痺させられた味覚で上品で薄味な音楽を聴いても「この曲サビがよくわかんないな…」となってしまいがちだ。
そして濃い味付けの音楽は体力も使うし飽きやすい、飽きてしまえば狂った舌には他に逃げ場になる音楽もなく、永遠に音楽からさようなら。せっかく音楽に興味を持ったのに入口で飼い殺さておしまいだ。それはちょっと、酷くないか。
リスナーはどうすべきか
「なんだか勝手に被害者のように言われているけど、私にどうしろって言うの」
自覚さえしたら、どうにでもできる。あなた次第だ。
「音楽なんて若いうちだけの楽しみでいいや、飽きたら飽きたでそれでオッケー」
というスタンスで音楽と付き合ってゆくのも良いし
「わかる所からほかの音楽もどんどん聴いていこうかな。せっかくだし一生の趣味にしたい」
ともう一歩踏み込むこともできる。
好きにしたらいいと思う。いままでと同じようにミーハーに音楽を楽しむとしても、自覚した上で楽しめているのであれば音楽通気取りのお節介に何を言われても気にせず楽しめるだろう。
ただ先ほど述べたように音楽を広告して販売する側の人間はあなたのお母さんじゃないので、わざわざあなたの音楽生活のその後の面倒までは見てくれない。長く付き合っていくにはあなたから踏み出す必要がある。別に、即刻今のipodをドブに投げ込み、怪しいレコード店で前衛音楽を買い散らかせ、というわけではない。少しづつ他の音楽に浮気していったらいいのだ。
心配しなくても一度好きになった音楽は大抵一生好きだったりするし、色々手を出した末にもう一度当時好きだった音楽を聴いても、その良さが色あせたりすることはないだろう。
こんな読みづらく冗長な文章をここまで読んでくれた奇特な方、いるのならありがとう。
ではまた次の記事で。
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