メジャーデビューして劣化するバンドが多いのはなぜか?
メジャーデビュー。
実に蠱惑的な響きのする単語である。
伝説によるとメジャーデビューというやつは人生の終着点であるらしい。そこはまさに桃源郷、夢の印税生活、権力、名声、酒、そして女!この世の全てがそこにあるらしい。
酒池肉林という言葉は元来、古代中国で王様の豪勢な暮らしぶりを表した言葉であるが、現代ではメジャーの栄冠を勝ち取った人生の勝者達を表す言葉となった。
若者たちはメジャーの栄冠を手に入れるべく、汗と涙を流し鎬を削りあうのだった!
とまあ、コチラは90年代までのお話。
2000年代以降、日本経済の終わらない不況のしわ寄せがガツンと音楽業界に降り注ぎ、メジャー伝説なるものは文字通り絵空事となってしまった。
頑張って頑張ってメジャーデビューしたものの生活が良くならないならまだしも、メジャーデビュー後からみるみる人気がなくなり、何のためにインディーズから這い上がってきたのかわからない人たちもいる。しかも結構多い。さてどうしたものか。
このメジャーに行ったらダメになってしまうという現象、昔から盛んに議論されてきた。
一般的に「金に魂を売った、セルアウトした、産業ロックだ、売れ線だ」なんていう辺りの要は”大衆向けに音楽性をシフトしたせいでクソになった”的が理由として挙げられることが多い。ちょっと気取ったファンが言う「なんか、変わっちゃったよね(笑)」みたいなやつだ。
もちろん十分にそれらもあり得る。甲本ヒロトの「売れているものが良いものなら世界一うまいラーメンはカップラーメンになっちゃうよ」じゃないが、売れる音楽=良い音楽ではない。セルアウトしたせいでクソになったというのは理由としては十分説得力があるものである。
しかし、どうやら最近それらが当てはまりにくいタイプのバンドが現れてきた。昨今の長く続く不況からか、インディーズの時点でもお金をちゃんと意識して活動するバンドたち。"ナチュラルボーン売れ線"という奴だ。
というかむしろ、一部では売れない音楽はダセえなんていう価値観まで普及しつつある。
そういった価値観を持ったバンドがメジャーデビューして売れ線に路線変更するかというと、もともと売れ線を意識しているので別に変わることもない。
だがしかし、実際問題そういうバンドでもメジャーにいった途端に何故かクソになるものがいるのだ。
メジャーデビューした途端にYoutubeの再生回数がみるみる減っていくなんていうバンド、パッと思いつくだけでも1ダースほど例が浮かぶ。みなさんもチラホラ頭に浮かぶだろう。
頑張って頑張って遂にメジャーデビューを果たし、人生の確変タイムをむさぼろうというタイミングでバンド史上最大の落ち目が訪れてしまった彼ら。
今回の記事ではメジャーデビューするとダメになるバンド、略して”ダメジャー”が生まれてしまう原因、ひいては犯人について従来とは違うアプローチ、新説を唱えようというものである。
生活に安心感がでる
メジャーデビューすると、それぞれ契約の仕方によるがインディーズに比べると生活が保障されるようになることが多いらしい。
実際のお給金は・・・というのは置いといて、今は気持ちの話をしたい。金じゃなくてメジャーデビューしたときの気持ちよ。
いかがだろうかみなさん、フワっとなんとなくイメージするだけでも凄い安心感を感じないだろうか。大手企業からの内定をもらった時の気持ち、私は内定というものを人生で一個ももらったことないが感じる。
食べものや着るものや住むとこで困ってしまうことから解き放たれたような感覚。感じてほしい、生きていて誰からも非難されることのない生活を・・・。きっと大昔の人々はこの気持ちを表すために「大船に乗ったつもりで」と表現したのだろう。乗りたい。
そして今回の新説の要になるのが、この安心感というヤツなのである。安心感。
童貞を捨ててダメになったD君のお話
安心感がバンドをダメにするというお話の前に一つお話ししたい話がある。
童貞を捨ててダメになった悲しいバンドマンのお話だ。忘れらんねえよの事じゃないからね。ここでは便宜上、DT君と呼びたい。他意はない。
先に事の顛末を書いてしまったが、当時彼は童貞であった。
彼の純情。女体に対する溢れんばかりの期待。夢、希望。
そのまだ見ぬ世界へのコッテリした思いが、気持ち悪いながらも彼の魅力であったのだ。
それがどんなものであれピュアな心から叫びだされる言葉は人の胸に突き刺さるものなのである。それこそが彼の持ち味であったのだ。
しかしある日彼は、ひょんなことから童貞を失ってしまい、女体の真実を知った。
人間に生まれてしまった以上、生物として与えられた本能からは誰一人も逃れることはできない。
砂漠を三日三晩さまよった挙句、ついに見つけたオアシスにて水に口をつけてしまったとしても誰も彼を責めることはできないだろう。
さて、後は書かなくともわかるだろう。
その膨れ上がった幻想を糧に羽ばたいていた彼の歌は、女体の神秘の秘密を暴いてしまったがために、気の抜けた風船のように、太陽を目指したイカロスの翼の蝋が溶けてしまったが如く、何の魅力もないただのクソになり下がった。そびえ立つクソに沸いたウジ虫以下の存在となってしまった。やがては音楽をすること自体をやめてしまった。
安心感がバンドをクソにする
純情を糧に音楽を鳴らしたD君が、柔肌の熱き血潮に触れてしまいクソになってしまったという教訓、アホらしく冗長に書いてしまったが、この現象、バンドというものにおいて死活問題なのである。
D君のケースではその創作意欲は彼の童貞から発せられるものであったが、実際このようなケースは多く、モテないとか自らに自信がないとか顔がユニークであるといったコンプレックスを糧に音楽を作るバンドや、言いようのない不安、恐怖だったり、何かに対する怒りだったりを音楽に昇華しているバンドは数多くいるのだ。
音楽を聴く理由というのは、当然人それぞれ違うものではあるが、その一つに己の心の隙間を埋めるべく音楽を聴くという形があり、そのようにして音楽を聴く人間は結構沢山いる。
私自身そうであるのでわかるのだが、悲しみやら不安やら焦燥やらを抱えている際に聴きたくなる音楽というものは、明るいものではない。
簡単な話だが、飼っていたペットが死んで悲しんでいる人間の隣で「ウェーイ!明るく生きようぜェー!↑人生最高!最&高!フゥー!プゥン↑プゥン↑」と騒ぎ散らかすのは畜生の所作である。
「人間=クソ」と歌っていた方が心に染みるのだ。
負の感情を持った人間が求めるのは、明るく前向きな音楽ではなく、同じように寄り添ってその不安や悲しみを理解してくれる音楽なのである。
自らの負の側面を音楽として切り売りしてきた人間が、安心感というものに心を染められてしまった時、その音楽の一番大事な部分がダメになってしまうのは想像に難くないだろう。
「人生…つらい…」
そうやって自分の脆弱性を商品にしていたバンドがメジャーで給料もらってファンからキャーキャー言われちゃったら、ポーズの取り方が狂うだろう。
そうなってしまったバンドの音楽が、以前と同じように負の感情を糧にしている体をとっていたとしても、どこか現実離れしてしまう。
自らが不幸な目にあっている人間は、想像以上に想像で作られた不幸の違和感を敏感に感じ取り、これは自らに向けられた音楽ではないと烙印を押すのだ。
悲しいかな、この世には心のゆとりが生まれてはいけないバンドがあるのだ。そう思わないかねThe Mirrazよ。
幸せを取りますか?音楽を取りますか?
The Back Horn - アカイヤミ
思い返してみれば噂でザバックホーンがメジャーデビューに際し、その負の感情を失ってしまわないようにと、山奥のスタジオに半ば監禁されることになり、極限の精神状態でアルバムを作らされたという逸話を聞いたことがある。
出来上がったアルバムは、お世辞にも一般ウケするようなものではなかったが、アルバムに込められた強烈な感情がスピーカーを通して伝わってくる名作となった。
こう、私には人様に向かって幸せになるな!なんて言うことはできないが、なんだ・・・難しい問題だなコレは。
もちろん幸せになって上手いこと方向転換できるなら良いと思うのだが、そんな器用なことできるヤツはバンドマンなんていう絶望的な道を選ばないという構造的な矛盾が生じてしまう。
さてどうしたものか。
さて、なんとも救われない結末になってしまったが、この安心感がバンドをダメにする説、是非一度みなさんのひいきにしているバンドでも当てはめて観察してみてほしい。
ツイッターとかインスタグラムにアップされる写真に笑顔が増えたなと思ったら、要注意だ。
では今回の記事はこのあたりで。