ついに宇多田ヒカル新曲にて椎名林檎と共演 曲のテーマは盛大な二人のイチャコラ
悟空とベジータが合体してゴジータになったどころの騒ぎではない、ワンピースにナルトが登場してルフィとナルトがフュージョンかましてナルフィになるくらいの衝撃。
今月28日に8年ぶりとなる待望の新アルバム『Fantôme』のリリースを控えた宇多田ヒカルが、先日衝撃的な発表をした。
なんと新曲「二時間だけのバカンス」に椎名林檎が参加したというのだ。
共に1998年にデビュー、名実ともに日本のトップ、最前線で活躍する二人。彼女らの活躍は今更説明する必要はないだろう。
ライバルであり盟友の彼女らのコラボが一体どういうものなのか。
今回の記事では「二人の関係性」「二人の音楽的センス」そして「新曲について」という形で色んな意味で日本のポップ史に残るだろう一曲に迫っていきたいと思う。
宇多田ヒカル - 二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎 試聴
なかよし
ご存じの方も多いとは思うがこの二人、今回の新曲で初のコラボ!、というわけではなく以前から色々と交流がある。というか普通に仲良し。
二人のなかよし具合とかそういうのを説明するのはイマイチ苦手なので、そういうのが好きな人は「宇多田ヒカル 椎名林檎」で検索をお願いしたいのだが、まあザックリ説明しよう。
二人とも同じ年に同じレコード会社、東芝EMIからデビューしたので二人で「東芝EMIガールズ」というなんのひねりもないネーミングの一夜限りのユニットを結成したり、結婚祝いにと椎名林檎がTravelingを歌ったり、インタビューでは互いによく名前が出たり・・・と表立った交流はこのあたりだろうか。なんか他にも沢山仲良しエピソードがあるが割愛しよう。
椎名林檎 - Letters
先ほどの一夜限りのユニットや結婚祝いも、この二人がやればかなり形になってしまうのだが、いうならば”お遊び”感覚のものだろう。
しかしコチラはガチの一曲。
丁寧に重ねられた宇多田ヒカルのハーモニーは日本が誇る絹織物のよう。中でもその特徴が大きな魅力となっているナンバーを、敢えて選曲しました。そして、そのような彼女の技を、敢えて取り払うことへ、勇気をもって挑戦しました。彼女の書いてきたものは、土台だけにしてしまっても・・つまり詞曲だけの状態にしたとしても、気高く美しいから。案の定、ただひたすらその事実を証明させられるプログラムになりました。
当時彼女が、録り終えたばかりの「Letters」を、文化村スタジオの卓から直接聴かせてくれました。わたしはすぐに「もう一回聴かせて」と、せがんだものです。これからなんど聴いたとしても、そう感じることになると予感していましたし、見事的中してもいます。
つまり、わたしは彼女のオリジナルテイクがだいすきなのです。だから、ほんとうはこんなこと、やりたくなかったのです。しかし、この銘曲を生み出してくれた彼女の偉業へ、精一杯の敬意を込めて取り組みました。彼女への愛を共有してくださるかただけに、こっそりご試聴いただきたいと思っております。
このLettersのカバーだけでも油断すると一記事が成り立つレベルになってしまうので、本人のコメントだけで割愛させてもらうが、愛を持った上で本気で宇多田ヒカルに挑戦してる感があって凄く良い。
確かに言えることは、ヒカルちゃんの不在によって私がどれだけ寂しい思いをしているかということです。もちろん、流行り廃りの世界にいることは重々わかっているけれど、基本的に保たなきゃいけないクオリティの基準値があって……。
その基準値のためには踏まえなきゃいけない工程があって…それを踏まえていないものがまん延してるなって感じるときに、やっぱりヒカルちゃんがいてくれたらいいなって思うことはよくありますよね。
出典:natalie
こういったバックストーリーだけ並べてみても、漫画か映画で「しばらく本編に出てこなかった主人公が返ってくるやいなや、長年のライバルと共闘を果たす」みたいな胸熱展開な感じで、思わずジワリとくる。
天才ミュージシャンとしての二人
先ほどは二人の関係性だったが、今回は二人の凄さを説明したいと思う。
バトル漫画で戦いの凄さを説明するジジイキャラのセリフくらいのつもりで読んでもらえればと思う。
宇多田ヒカル - Automatic
宇多田ヒカルというミュージシャンの才能については以前も記事にしたが、敢えて言うならば”天才肌”のミュージシャンであると私は思う。
当時を経験した方はわかると思うが、デビューしたその最初の一曲から、音楽的な技術、スター性、表現力、そして運まで、熟練のミュージシャンが生涯をかけて到達できるかできないかのラインの世界まで到達していた。
彼女の音楽に転機が訪れたのは最近、2010年からの人間活動という名の休止を経て復活したタイミングだ。
休止以前と以後で大きく変わったとすれば彼女の歌に対するアプローチだろう。復活後の彼女の音楽休止以前にも「歌詞で全てを言いきらない」等の発言があったが、復活後には以前にも増して楽曲の中で”歌の表現”の比重が増した。
例えば「花束を君に」は歌詞は母の死について書かれており、歌詞だけで判断すると悲壮感がテーマの曲とも判断できなくもないが、実際に歌になった状態ではその解釈は間違いになる。
悲しい歌詞に、多くの人が”母性を感じる”と評した優しい歌の表情が組み合わさった「花束を君に」は悲しい曲というよりも、悲しみと向き合う人の曲という解釈ができる。
長い休止から復活した彼女の音楽は、いまだ誰も到達していないほどディープで繊細な表現を示してきた。
休止以前の彼女は、才能の暴力そのとんでもない才能で曲を作っていたように感じるが、復活後の彼女はもはや天才肌というよりも、それの一歩先、覚醒した天才みたいな感じになっている。
椎名林檎 - 幸福論
宇多田ヒカルが天性の才能をもったアーティストだとするならば、椎名林檎は努力の天才だと私は思う。
今でこそ彼女のトップミュージシャンとしての音楽性を誰も疑うことはないが、例えばデビュー当初、アヴァンギャルドな言動で注目を集めたことや、多くの熱狂的なファンを抱える椎名林檎の独特の世界観など、敢えて言うならば音楽一辺倒ではなく、総合的なエンターテイナーとして人気を集めていたと思う。
誤解がないように書いておくと、彼女が音楽的な才能がなかったというわけではなく、むしろ一般的にはコレ以上にない程の音楽的才能を持ち合わせている。幸福論だってリリースされて20年近く経っていうにも拘らず色あせない名曲だ。音楽的な面だけでも早々現れない天才である。要は、宇多田ヒカルと並べて比べると、彼女の化け物具合の前では・・・ということである。
だが、椎名林檎もエンターテイナーに徹していたかというとそうでもない。
彼女の音楽性の転機は、やはり東京事変での活動であると思う。特にアルバム”娯楽”では椎名林檎作曲の曲は一曲もない。
自らを「新宿系自作自演屋」を名乗っていた彼女は”自演”の部分の可能性を追求するために、敢えて他人の作曲の上で自身がどう演じるか、本人の言葉を借りるならば「個人ではなく集団としての表現を歌詞や声の質で表す」という挑戦をしたのだ。
元々とんでもなく凄かったが、やっぱり東京事変を経てさらに進化をしていると思う。
その後の彼女については敢えて語る必要もないだろう。宇多田ヒカルとはまた全く別のベクトルの偉大なミュージシャンだ。
「二時間だけのバカンス」という曲
宇多田ヒカル - 二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎
とまあ、上ので二人の音楽的な凄さを改めて書き起こすと、この二人が共演するとどんな作品になるのか期待してしまうが、今回のこの曲、良い感じに期待を裏切られるタイプの曲だ。
「二時間だけのバカンス」という曲、結論から先に言うと「ついにコラボできた!キャハハウフフ!」というのがテーマの曲。もちろん彼女らの音楽的技術がいかんなく発揮されてはいるのだが・・・。
歌の内容を紐解いていくために、歌詞を幾つか抜粋してみてみよう。
”家族のために頑張る 君を盗んでドライヴ
全ては僕のせいです わがままに付き合って
二時間だけのバカンス いつもいいとこで終わる
欲張りは身を滅ぼす
教えてよ、次はいつ?””朝昼晩とがんばる 私たちのエスケープ
思い立ったが吉日 今すぐに連れて行って
二時間だけのバカンス 渚の手前でランデブー
足りないくらいでいいんです
楽しみは少しずつ”宇多田ヒカル - 二時間だけのバカンス より引用
巷では不倫の歌だとか言われているが、大体歌詞の内容はそういった類のものだろう。
ただ、最近の宇多田ヒカルを考えると、自分の実体験を歌詞のストーリーにする傾向があるので、おそらくこれもそういった感じ。
永遠のライバルであった椎名林檎との共演を、後ろめたさを感じるような不倫に喩えて歌う、この曲のはそんな二人の邂逅を心の底から楽しもうというのがテーマではないだろうか。
若いころからポップスターとして音楽業界を背負って立たされ、人生を翻弄された彼女ら。恐らく我々の理解できない悩みや苦しみみたいなものを抱えているのだろう。そんな中で唯一同じ境遇を分かち合える人。
今回のこの曲にしても、歌詞の中に「忙しいからこそたまに 息抜きしましょうよいっそ派手に」という1ラインがあるが結構そのまま彼女のらの状況を表しているのだろうし、前からずっとコラボしたかったが、周りの状況がそれを許さず、今回やっとのことでこぎつけたという具合の発言もあった。コレはもう不倫ですよ。
曲を聴いていると、そんなひと時のバカンスを彼女らが楽しんでいる様子が伝わってくる。どう考えても当事者二人が一番楽しんでいる。
思うにこの曲、宇多田ヒカルの「人間活動」の最後の1ピースなのではないだろうか。
今まで自分で自分の自由にできなかった彼女が、人間らしさを取り戻すために行った休止の最後、締めとして今までずっとできなかった椎名林檎とのコラボを持ってきたのだと思う。
あと、記事内で二人の音楽的な部分に触れておいて、実際の曲の音楽的な面にはあまり触れなかったが、その辺りは自分で聴いて確かめてみて欲しい。やっぱり伝説級のあの二人がコラボしただけあって非常に面白く出来上がっていると思う。
では長くなったが今回の記事はこのあたりで。