BASEMENT-TIMES

読める音楽ウェブマガジン

ホーム
アバウト
人気記事
月別索引
オススメ記事

2016/07/16

コラム 記事

水曜日のカンパネラ嫌いな俺はセンスがないのか?

嫌いと言うより苦手。

2015年もそろそろ終わりがけだが今が旬の人といえば水曜日のカンパネラとコムアイだろう。
今やタワレコ行けば水カン、ヤフオクを開く度にコムアイ、数人集まれば「コムアイCawaii!」と騒ぎ始める始末。
大体去年辺りから「ライブで鹿の解体するヤベエヤツがいる」とチラホラ聞くようになったと思ったらコレだ。どうしたみんな?ウェカピポ?

タイトルにも書いたとおり私は水曜日のカンパネラが苦手なのだが、何故それを敢えて書こうと思ったのか。
みなさんも経験があるだろう、嫌いなものや苦手なものは口にしないほうが色々とスムーズにまわるのだ。というか嫌いなものを叫びまくってるやつがいたら一種のサイコパスと言っても過言ではないだろう。

では私は何が言いたかったのか。嫌いなものはいくらでもあるし、大体心の中にそっと仕舞っておいてある中、何故水カンなのか。
そう水カンが流行り始めたころから気になってるのが、あのアンタッチャブルな感じ。
「水曜日のカンパネラ嫌い」なんて口にしてしまったが最後、「お前水カンの良さがわからねえのか。センスねえな。カッペかよ。埼玉県民かよ。」と哀れみを含んだ罵倒をいただける味わい深さ。
その迫害のされぷっりといえばスプラトゥーンをやっている層でガッチリ固まって「お前スプラトゥーンやってねえのかよマジかよ・・・ホントに人間かよお前・・・」というあの空気感と酷似している。
みんなスネオかよ!
自分と異なる価値観を持つやつを弾き出そうというこの嫌な空気、一億総スネオの時代。
私はそれに物申そうとこの記事を書いているのだ。

ポジショニング暴力

だれが決めたか、こちらの好き嫌いなんか一切無視で評価が固定されているものが、世の中にはある。例えばな、ピーマン。ピーのマン。こんな下品な名前の食べ物私の上品な口は受け入れられやしないんだが
「ピーマン苦手なんだよね」
と一言いうと
「エエエ!!オイシイジャアアアアン!!!ナンデエエエエ!??!」
と一撃でハラスメント。ピーマンの味わいが理解できる、ってのはそんなに偉いのかね?

これはたとえが悪いが、そうだなあ。有名な絵画とか、三ツ星レストランの料理とか、ビートルズとかね。人間これらにも好き嫌いあってイイハズなのだが、これらの評価は固定して「素晴らしいもの」とされている。私たちが好きだの嫌いだの言う権利はないものとされ、ひとこと「個人的に好かん」と言えば「センスがない」の烙印が猛プッシュ。個人の趣向によるだろ何もかも。

水曜日のカンパネラにはそれに近しいものを感じる。
「前衛的!若い女の子がこんなセンスのある活動を~ホニャ~!」
みたいな彼女を取り巻く空気の前に、私の素直な感想は一切却下。水カンの良さがわからぬお前はセンスがない。彼女を理解できる私たちこそハイグレード、程度の低い人間はこれだから…
もうこんな塩梅。なんだよオイ。アァ!?オイ!!!

 

オッサンが作詞しているのを知ってから、水カンを聴く度にゾワっとする。


水曜日のカンパネラ - 桃太郎

水曜日のカンパネラ - 桃太郎 作詞作曲:ケンモチヒデフミ

20150301_7

Oh...

きびだーん きびきびだーん おにたーいじ おにおにたーいじ

水曜日のカンパネラ - 桃太郎より引用

default_2961faf60ca92f03b1d6598d0911e377

Oh...

 

いかがだろうか。

中田ヤスタカの一件に比べれば全然問題ないように思えるが、
某パフュームのように女の子らしさを前面に押しているわけでもないし、むしろ誰が書いても問題ないタイプの歌詞の極みであるのだが、なんだろう。この裏切られたような気持ちは。
自由奔放で次に何をしでかすか全く予想できないコムアイのキャラクターから生み出されたからこそ歌詞が輝くのだと思っていたら、なんと後ろのオッサンが作っているという・・・。

水曜日のカンパネラのイメージが、
意味不明な女とマトモなオッサン×2だったのが、
意味不明な女とブッとんだオッサン、謎のオッサン一名になってしまった。
れはなかなか罪深い案件ではないだろうか。

 

ホラ、こういうのが好きなんだろ?という感じが苦手

上の案件を知ったのを含めて水曜日のカンパネラの「ホラ、こういうのが好きなんだろ?」という感じが苦手である。


水曜日のカンパネラ - 空海

コチラが彼女らの初期の曲。
いかがだろうか。ピアノの音量バランスがちょっと気になるが、凄くまっとうな路線のエレクトロポップといった具合だ。
それが今では「イィ↑湯だね↓イイ湯だねェ!」ともはや何者なのかわからない路線に走っていった。

いや確かに最初の路線のまんまで売れることができたかと言えば、多分しんどかったとは思うが、
現在の奇天烈な路線は世間が望む方に奇を衒っていっているような気がして、鹿の解体を含む色々な奇行やその他諸々も全部狙いすまして行われているような気がしてくるのだ。「とりあえずニューバランス履いてハズしとけばどうにかなるだろう」的なインスタントな感じ。
一度そういった目線で見てしまったら最後、彼女らの何を見て何を聴いてもヒヤヒヤしてしまうというか寒気を感じてしまうようになってしまう。

 

結局俺はセンスがないのか

つまるところ、私は上に書いたような具合でイマイチ水カンの良さがわからないのだが、私はセンスがないのだろうか。
世間を巻き込んだ壮大な悪ノリというか、そういった具合のものに寒気を感じているのだ。

うーむ。
ともあれ、水カンのヤフオクのアレに抜擢されたりの具合は完全に「これからもっとビッグになってくコース」みたいなものを感じが、どうなのだろうか。

因みに今更だが、水カンの音楽的な部分は結構好み。
「ディアブロ」なんて無機質でドリーミィなエレクトロ部分とエモいギターの具合が絶妙にマッチしててクールだと思う。
いや散々ディスった挙句「最後はテキトーに褒めとけばどうにかなるか」、と思ってるわけじゃなくてマジなんだよ・・・。


水曜日のカンパネラ - ディアブロ

結局どっちつかずの感じになってしまったが今回はこのあたりで、ではまた!

オススメ記事

記事検索

オススメ記事