バンド好きなサブカル女の家にはなぜ浅野いにおの漫画が必ずあるのか
うみべの女の子に憧れた結果タダのアバズレになってる黒髪ボブのみなさんこんにちは!今日もバンドマンと愛のない性交渉、してますか!!
セールスで言えばジャンプ漫画を始めとする王道バトルモノ漫画には二三歩劣るところではあるけれど、良きにしろ、悪きにしろ、浅野いにお先生は2010年代最もカルチャーに影響を及ぼした漫画家だと思うんです。そういう意味で本当に偉大な御人だなと。この人がいなかったら始まりも終わりもしなかった恋が、売れなかったコンドームが、歯ブラシが、日本にはたくさんある。そう思いませんか。踏み外さなかったら道が、たくさん。
人々が、どういう経緯を経てサブカルクソ女に成長するのか、それは画一化されたパターンでは言い尽くせない各々のドラマがあるはず。家庭環境、教室戦争、恋の爪痕、いろんな要因を経て黒14.5のカラーコンタクト、段の入ったボブにインナーカラー、XLのトレーナーを身に纏い、小鼻を隠した自撮りを載せるようになるわけで。黒人、白人、三重県民、そういった、人間集団を表す言葉の一つに「サブカル女子」という名前の集団が実際にこの世に少なからず存在しているわけです。
繰り返しになるけれど「サブカル女子」「バンド女子」というゴールは一つだとして、そのゴールにたどり着くまでのルート、道筋には、個々色んなドラマがあるでしょう。ただね、ただ。そのルートのどれにも必ず出現する一種の通過儀礼が存在するんです。それがそう、浅野いにお。メンヘラエッセンスの入ったサブカル女の家には必ず浅野いにおの漫画がある。Tシャツがある。バッカスのジャズベースがある。
こういうことを書くとね「私サブカルクソ女だけど浅野いにおとか読んだことないよ」みたいなこと言う輩が必ず現れるんですけど、PUNPEEとかtofubeatとか好きなあなた。お前はサブカルクソ女じゃなくて普通にカルチャーが好きな一般女性だから今回の話には該当しないの。舞台作家志望の彼氏と「DAOKOと岡村靖幸のコラボ、DAOKOいらなくない?」みたいな話してろ。毛並みの短い猫飼ってろ。
そうじゃなくて今日はもっと、10代から20代前半のね、フォロー220人、フォロワー1030人ぐらいのね。三日に一回ぐらい自撮りしてリプライ2件ぐらい来てるね。そういう女の子。そういう人たちの話をしたいんですよ。
バンド好きっていう女子は浅野いにおから逃れられないのは何故か。そういう話を、今日はしたいんですよ。
ソラニンはバンド漫画じゃない
漫画と音楽って本来関係ないわけじゃないですか。媒体が違うわけだから。
事実、ワンピースとか、NARUTOとか、進撃の巨人とか、そういった漫画が好きな人が決まってEDMが好き、EXILEが好き、K-POPが好き。そういう関連性を持つことはほぼないわけで。バンドが好きだから、浅野いにおが好き。っていうのは「かつ丼が好きだから、熟女が好き」ぐらい関連性のない話なんじゃないかと。
「いやソラニンがバンドをテーマにした漫画だからっしょ」
うわ、なんか声が聞こえてきた。うわ。
いや確かに代表作ソラニンは、バンドを題材にした内容なんだけれど、バンドが好きだから読むような作品でも、読んでからバンドに興味が湧くような作品でもないんですよね。BECKならわかる。日々ロックならわかる。バンドやりたくなるし、バンドやってると勧められる。けどBECKはサブカル女の本棚にはない。ギタリストの男の家のギターマガジンの横に並んでる。そういう漫画。
これはそもそもなんだけど、ソラニンのテーマってバンドじゃなくて「バンド周りの男女のだらしのない人間模様」みたいなところが主題なんですよ。バンドはオマケ。ウォーキングデッドのゾンビがオマケなのと同じ。メインは「男女」浅野いにお漫画は徹底してそう。
だから、バンド漫画を描いてるからといってバンドを好きになるきっかけになるような漫画ではないし、バンド好きが高じて読むような漫画じゃないんですよ。だってメインテーマがバンドじゃなくて若い男女のモヤモヤした日常なんだもん。
じゃあなぜ浅野いにお漫画はクリープハイプとセットで部屋に置かれるのか
浅野いにおの漫画と、バンドというものが全くの互換性のないものだということはわかっていただけましたでしょうか。
じゃあ何故、結果として、My Hair is BadのTシャツとイソベやんのTシャツが並んで干されてしまうのか。問題はそこ。
先ほど「かつ丼が好きだから、熟女が好き」という「食い物の趣味と異性の趣味」という表現で関連性のない二者を立たせたところですけれど、場合によってはこれが成り立つケースがあるのです。例えば
「代官山のオシャレなカフェのランチが好きだから、ジェルで七三をバシっと固めた35歳前後白クルーネックシャツにジーンズの青年実業家風の男が好き」
これはあり得る。あり得るんです。「食い物の趣味と異性の趣味」という全く違ったフィールドにもこうやって互換性が生まれることが、あるわけです。これを社会心理学の用語で「離別事象の特殊互換の法則」と呼びます。ええ、嘘です今考えました。
浅野いにおの漫画と、バンド音楽の互換性には、これが当てはまる。この2つを繋げるものは、一体?
世界観です。または、ファッション性。
クリープハイプのファンも、マイヘアのファンも、yonigeのファンも、音楽自体を楽しんでることには間違いないとは思いますが、そこにプラス歌詞性、世界観が特に求められてることが長年の研究結果からわかりました。どういうことか?
サブカルメンヘラが好みそうな一部のバンド音楽と、ほかの音楽を大きく隔てるもの、それは「現代の若者特有のリアルな憂鬱」うまく言葉にできない概念ですけどするとしたらこんな感じ。やや自暴自棄な「どうせ俺たち先行きないし」という空気感。貧乏人の代名詞であるバンドマンにはこの空気がどうやっても濃厚にまとわりつくし、浅野いにおは漫画でこれを表現したものだと思うのです。
上述したようなバンド好きな人って、音楽も好きだとは思うんですけど、この根の暗い空気感に惹きつけられてるんじゃないかと。もっとガチガチに音楽好きな人ってバンドから離れてもっともっと各々変な方向に行くもん。
なので思春期の人格形成時に何らかあって「暗い人間だ」ということを自ら認めてアイデンティティにした人たちが、心地いい場所がバンド音楽だったり、浅野いにおの漫画だったりするんだと思います。だから媒体は違えど同じ客層に求められてるわけです。これがクリープハイプのCDとおやすみプンプンが同じ棚に並ぶ現象の正体です。金のないバンドマンと共依存したがる理由です。
納得いただけましたでしょうか。滅茶苦茶言って本当にすみませんでした。デデデデ面白いです。
それでは。