洋楽って、難しくない?
「音楽に国境はない」
ナオトインティライミはそんなことを言いながらオーストラリアにて自作の日本語ソングを弾き唄い、現地住民たちの「は?」というアツい視線を溶けそうな程に浴びていた。
音楽には国境がない?寝言?起きろ。国境どころか同国民ですら往々にして分かり合えないのが音楽だ。だって田舎のギャルってドンキでCD買ってるんだぜ。そんな奴らと音楽で分かり合おうとするくらいなら犬猫と対話を試みていた方がマシに決まっている。
洋楽と日本人には大きな溝があると思う。洋楽試聴人口は日本人英語話者の総人口よりも少ないのではないだろうか。留学に行った友人や英語を仕事にしている知人と話していても洋楽の話題が会話にのぼることはマズない。「英語が話せる」「音楽が好き」この2大要素をクリアしている人間ですらこの有様。ラジオ文化が廃れ日本国内にも音楽が十分すぎるほどに充足した今、洋楽を聴いている=イケてる!の構図は音もたてずひっそり風化してしまったらしい。
物を書く人間は批判を恐れなんでもかんでも中立の立場を取ろうとするため、昨今じゃ逆に文字にして音にして見聞きすることない意見だが、あえてここでハッキリさせときたい。洋楽の方が邦楽よりも音楽的には完全にハイレベルである。どの角度から切り取ってもだ。完全に邦楽の負け。これは人種コンプレックスではなく俺一個人が「でも邦楽も素晴らしいって言っておかなきゃちょっとな…」みたいな気持ちを一切無視した素直な気持ちになった時に心の底から思うことだ。完全に邦楽の負け。勝ち負けじゃないにしろ、劣ってはいる。
勘違いしないで欲しいが米津玄師がCold Playに負けているとかそういう話じゃない。日本の有名店のスシとイギリスの有名店のフィッシュアンドチップスどちらが素晴らしいかなんて、いかんとも言い難いでしょう。しかしマクロに見ればスシは海外でバカウケだけどイギリス料理は世界的に見てマズい。これはもうそういう話。
上の論調は無茶が過ぎるとしても、洋楽は邦楽に比べて音楽性の幅が広く選択肢が多い上に絶対数も多い。先日の邦楽ロック=カレーの記事もそうだったけども、邦楽は歌謡曲というスタンスの音楽がどうしても多く、音楽性の幅広さや真新しい革新は洋楽に軍配が上がる。そういった意味で洋楽は、良いモンだよ。カレーVS料理みたいなもんよ。
話がブレるので一旦「洋楽はスバラシイ」という前提は無理にでも納得してもらうとして、ではなぜ洋楽が日本人には聴いてもらえないのだろうか。スバラシーのに。
そりゃもう、ひとえに俺たち日本人には意味ワカランからだろう。今回は俺たち日本人にとって洋楽のどこがどう意味わかんないのか、そこを掘り下げよう。
何から聴けばいいかわからん
まずこれ、数が多い。
いまだに憶えているアレは確か小学校3年生の頃、自分で音楽を選んで聴きたくて親父についていって初めてTSUTAYAに行った。
「なんだこれ、砂漠かよ」
素直な感想がコレ。その途方もなさに俺は遭難したような不安を覚えTSUTAYAの床に膝をついた。あとポルノグラフィティ借りた。
"邦楽"と絞っても何を聴いていいかわからないオレたちに洋楽なんかもう本当に音楽砂漠。みんなわかんないからMステに出てる音楽で「これを聴いていた方が私はオシャレなのでは…?」という音楽を手に取ったり、人より音楽に詳しいポーズをとる為にYouTubeの関連動画からそれらしいバンドを見つけてきたりするのだ。だってわかんないから仕方ない。
邦楽が砂丘ぐらいだとしたら洋楽は砂漠、遭難したくないから聴かない。
歌詞が意味わからん
英語だもんだって。しかも早口だったりスラング使ったりするでしょ。TOEIC満点でもわからんよ。
あとその国独特の文化が歌詞に出てきたりするから共感しづらい。逆に考えてみよう、邦楽特有の日本情緒がNYのスラム育ちのみなさんに伝わると思いますか?金木犀の匂いにノスタルジーを感じることができるのは我ら日本人だけだよ。それが俺たちにとっての邦楽の良さであり、替えの効かぬ、比べられ得ぬ部分の一部だ。
サビが意味わからん
二年前の記事なので今見ると不足があるが、この記事でも書いているように音楽としての決定的な違いは「サビ」の重要性だろう。
もっと誇大解釈すれば、日本人には演歌・歌謡曲の魂が性根にあるらしく歌として盛り上がる部分や聴きどころを用意した音楽を好む傾向にあるようだ。
というか生まれてからずっとテレビや町中で無意識のうちに歌謡曲、サビのある音楽を聴かされ続けて育つ俺たちが突然「そういうのじゃ、ねえから」なんていうスタンスの音楽を聴かされても馴染めないのは当然だ。
そもそも楽曲の盛り上がらせ方、聴かせ方が違う。この曲はアジカンのムスタングをNADA SURFがカバーしたものだが、Cメロに当たる部分ののリフレインで楽曲を聴かせにかかっている。全く同じ曲なのに構成を変えるだけでガラっと洋楽になってしまう良い例だろう。
意味わからん
何より、洋楽の代理店が完全にしぼんでいっている。誰も洋楽を売ろうとしない為洋楽の情報が日本に流れてこない。結構必死こいて探さないと流行りの音楽すら聴けない。
世の中にもう一度洋楽熱を再燃させるには、もっと音楽が好きな人間を増やしていかないといけないのかもしれない。そう思えば今の状況は悪くないのかもしれない。問題は邦楽を聴いている人間の何割が、洋楽無限砂漠に飛び込んでまで音楽を聴きたいと思うほど音楽を好きになるか、だ。なっては欲しいけど、なった所で俺には「ちょっとうれしい」ぐらいのメリットしかないので別にどちらでもいい。
しかしだ、砂漠を歩く術を身に着けたら、その広さはメチャクチャ楽しいぞ。
最後に最近のお気に入りを置いておこう。遭難しても死なないから一歩踏み出してみなよ。