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2015/09/07

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音に張り付くタイトル toe 

「自分たちは何にも影響されることなく、まったく新しいことをやっています」なんてことはありえないので。今までの人生で、自分が関わってきたものすべてが反映されています。」

toe(トー)は日本のポストロックバンドである。

基本幻想的なインスト曲だが、ゲストボーカルを迎えた曲もある。

私が敬愛するドラマーの柏倉はtoeの他にもthe HIATUSのメンバーとしても活動し、木村カエラのサポートミュージシャンも務めている。

ギターの美濃はレコーディングエンジニア。

ベースの山根はクロックスのアジアアパレルマネージャー。

ギターの山嵜は空間デザイナー。

そんな4人が紡ぐ音は前衛的であり、幻想的だ。

私は相当彼らの影響を受けていると思う。大好きだ。ギタリスト的にやりたいことが似ているというか。うーん難しい。

彼らの魅力について考えていきたい。

この曲、反逆する風景からいこう。

 

 

音に張り付くタイトル

toe、つま先という意味だが、どうなんだろう。ツアーTシャツには"Theory Of Everything"と書いてあったりする。

楽曲のタイトルも哲学的なものが多いので、ありえる。

いくぞ。

 

孤独の発明

 

 

向こう岸が視る夢

 

ここには何もかもがあるし、何もかもがない

 

繋がる遥か彼方

 

そそられないだろうか?私はそそられる。

タイトルというのは頗る重要だ。

タイトルは曲中で現れる全ての背中を押す、意味を付け加える存在だと私は思う。

『全部嘘』という曲名で曲を書いたら、そこの中に出てくる歌詞全部に『全部嘘なんじゃないか』というイメージがついて回るだろう。

そういうイメージだ。

そうやって考えると、インスト曲のタイトルは、歌ありの曲より重要なんじゃないだろうか?

言葉がない分、そのイメージが定着しやすいからだ。

もう一度『反逆する風景』を聴いていただきたい。

何を想像しただろうか。

タイトルが音に張り付く感じ、わかるだろうか。風景が反逆してこないだろうか?

toeの楽曲の前に、同タイトル『反逆する風景』という本を辺見庸が出している。

確認できていないのでわからないが、toeはこれを参考にした、いや、イメージして曲を作ったのだと思う。

興味ある人はぜひ本も読んでほしいが、ものすごく短くまとめるなら『風景そのものこそが真実を語っている』ということだ。

さぁ、だんだ違うイメージが沸いてきただろう。

他のタイトルも小説から拝借したであろうものが多い。作品を読んで曲を聴くと新しいイメージが生まれるだろう。

インストだからこそ、タイトルを噛みしめながら、自分でその意味を考えながら聴く。

それこそがtoeの音楽の楽しみ方のひとつなんじゃないかと私は思っている。ちなみに『孤独の発明』という本もある。

 

音楽に対する考え方

彼らのインタビューを読んでいると色々考えさせられる。

・曲を考えているのは僕たちで、始めに思い描いたものが形になっているわけだから、極端な話、僕がアルバム1枚を通して何も弾かなかったとしても、その曲は”自分らの曲だ”って言えるんですよね。だから4人で生み出す音楽であれば”toe”なんです。

・まず”こうしたい”っていうビジョンが先にあって、録音物はそれに近づけるように作りたいと思っているんです。だから別に自分らが弾けないものでも曲として必要なら誰かに頼んでやればいい。

・1曲丸々、僕がギターを弾かない曲があってもいいし。

・無理矢理自分のあんまり好きじゃない方向性に持っていっても仕方がない。

・自分が好きな音が、みんなが聴いてダメだって言うなら、それはダメなんだろうなってことで、それはそれでいいんです。

 

(Guitar Magazine より引用。) ちょっと世間の考える『ギタリスト』とは違うのがわかっていただけただろうか?抜き出すとニュアンスが違うと思うのでぜひ全文で読んでみるといい。

 

山嵜:なんか、僕の中では”ギタリスト”って言われるとかなり違和感があるようなフレーズを弾いていると思ってて。目標としては、”ギターをメインにしている人ではない人が弾いたギター”みたいな感じになりたいんです。その曲でギターが必要だからしょうがなく弾いている感じになれるといいですね(笑)。

 

ん~、納得である。頭で鳴っているフレーズをギターに置き換えただけで、必ずしもギターである必要のないようなプレーズだと思う。

『その曲でギターが必要だからしょうがなく弾いている感じ』っておもしろい感覚だと思う。

作曲に生きそうな言葉だ。必ずしも楽曲中に自分の担当楽器を入れる必要はないのかもしれない。

本当に楽曲がその楽器を必要としているのだろうか。非常に考えさせられる。

 

結局何がいいのか(toeの話は少ない)

結局、toeの楽曲の何がいいんだろう。

彼らのタイトルや、音楽に対する姿勢は大好きである。

だが純粋に楽曲の良さを考えるときにはタイトルだったり、彼らの姿勢だったりは、楽曲と切り離して考えなければいけないと考えている。

多くの人がこの感覚を欠如していると思う。

ボーカルの顔・生き様が好き→その人がやっている楽曲が好き→楽曲がいい→『この曲よくない?』

話がすり替わっている。

楽曲+α(顔だったり生き様だったり色々な要素)=好き となっていることに気がついていない。

他の人にその+αがないことを気づかないまま勧めるもんだから

楽曲=普通、とか微妙だとか言われるとムッとするんじゃないだろうか。本来普通であっても。

自作曲でもそうだ。そりゃあ時間かけて、自分の好きな要素を詰め込んで作ったんだから自分の曲はかわいいだろう。

だが、リスナーにはその+αがない。

そのことに気がつかなければいけないと思う。

さぁ、toeの話だ。

変則チューニングを含め、響き重視の開放弦を駆使したギターがいい。

歌うようなドラムフレーズがいい。

多彩なリズム、リフ、音色が詰まっていていい。

アルバムごとに実験的要素が見られていい、(全員toe以外に活動の場があり、気張っていない感じを受ける。)

総じて、いい。最高だ。

それではグッドバイ!

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