カネコアヤノは俺にすら寄り添ってくれる。
急に泣きたくなる時って人生で幾度となく訪れる。さぁ、炒飯をたくさん作ってお腹いっぱいの状態でたくさん寝てやるからな!と決意表明をした5分後にガス停められたり、基本的に俺は自分の情けなさに呆れて泣きそうになる。まぁ産声以来泣いた事ないけど俺は。
人の優しさなのかはわからないけれど俺はカネコアヤノを聴いてるとたまにわけもなく泣きたくなる時がある。カネコアヤノは人を選んでない。きっと俺へも歌ってくれている。という事にした。何で良いのかわからない。けれどめちゃくちゃいいんだよ。
"お腹が痛くなったら、手当てをしてあげる"
電車やらでお腹痛くなる時って世界で一番身近な絶望かつ神に祈る瞬間だと思ってる。そんな時に手当てをしてくれる人間を優しいと言わずして何と呼ぶ?
ギター1本で歌い上げるこの曲が俺は特にお気に入りで、人に優しくなれそうになる。等身大で、健気で、嘘が無い。この冷凍都市日本で生まれ育った俺たちが生活をする上で灰汁と全く同じタイミングで出てくる不安や悩みを解決してくれる事はないけれどそれに寄り添って支えてくれる優しさや安心がこの人の歌にはある。
"代官山 青山 表参道 銀座 六本木
が似合う大人になりたい
なりたくない
わりと、どっちでもいいや
まだまだ先がみえない"
俺は東京でひいひい言いながら行政や周りの人間に迷惑をかけながら生きているけど、活動範囲は専ら中央線。中央線で酒を飲み映画を観て麻雀を打って井の頭公園でまた酒を飲んだ。そういうわけで港区を代表する上記のようなエリアにはほとんど足を踏み入れたことが無い。港区の奴らってチリ産ワインが安いのは現地の人が搾取されているからとかほざきながら大きい皿に乗ってる小さい肉喰いそうだよな、なんて適当な偏見した持ち合わせていない。けれどあぁいった地価が高いエリアはハイセンスで煌びやかで憧れてしまうのはわかる。青山にある魔法障壁なようなガラスで覆われたプラダの横を歩くジジィはスタンド使いのような格好をしていてとても強そうだ。六本木にいる犬に服を着せて連れ歩くババァは何だかスカして見えるけど現代社会の勝者であるように思える。服を着た小型犬。勝利のアイコンだと思う。犬に服を着せるのは好きにすればいいけど、寒さに弱い犬種なの!って反論だけは頂けないな。じゃあこの国に連れて来てはダメだよね。
何の話してるの?
カネコアヤノの歌は"今"を歌ってる。それは"現在"でもいいし"NOW"でもいいし、"刹那"でもいい。何言ってるかわかる?俺はわからない。評論家ってすげぇよな。マジでお前さっきから何言ってんのかわからないんですけど笑って時が沢山ある。俺が馬鹿なのが悪い。でも日々の生活は変わっていくし、今は楽しいかもしれないけれどこれからはそうなるかはわからない。そんな危うさを楽曲から感じる。わかるだろ。
下北沢の小さなライブハウスで大きな声で楽しそうに揺れながら歌うカネコアヤノを観た。俺は今までアコースティックギターを抱えて歌う女性の音楽を好きになる事はほとんどなかった。その反動かはわからないけど生で観て以来とっても好きな音楽になりました。別に新しい音楽とは思わない。本人も思っていないだろう。2019年に鳴る音楽ではないかもしれない。評論家の人達からもカタカナと画数の多い言葉を使ってたくさん褒められてるわけでもないように思える。でもなぜか感じる圧倒的なオリジナリティ!なんで? 俺はこの人間の生活に寄り添ってくれるような音楽が好きだ。そしてみんなにも好きになって欲しい。何の予定もない晴れた日にカネコアヤノを聴きながら散歩をして欲しい。