作曲について語る~愛すべきドM達へ~
送られてきたオリジナル楽曲に対して辛口でコメントをする謎のツイッターアカウントをやっている。
嬉しいことに総数が50曲を超えた。ほぼ全ての楽曲に対し3回以上聴いてからコメントしている。
その中から宅録ミュージシャン向けに1ミリでも役立てば良いというスタンスで、つらつら書いていきたい。
正解はないので、悪い。というわけではないことを念頭において読んでほしい。
きっかけ
興味ないかもしれんが、やろうと思ったきっかけを書いておこう。
私は凡人なのだが、周りに凄腕のミュージシャンがたくさんいる恵まれた環境にいて、
『ここがこう悪くて、こうしたら良いんじゃないか。』とよく言ってもらえた。
私のライブ中に両の手でバツを出されたり、スタジオ練習中に唐突に入ってきて『ギター(私)邪魔だね。弾かないほうがいんじゃない?』と
なんともえげつない理不尽な愛情表現をしてもらった。
あとで一人むせび泣いたのは言うまでもないが、全てがいい経験だったと、今ならば言える。むしろ今しか言えない。
最近、コメントをもらいに自作曲を持って彼に会いにいったのだが、
『めんどくせぇな~。』と言って車で再生し、10分近く無言で聴いてくれた。
そして、『一回聴いただけで4,5個、伝えたいことがあるけど、聴き込んでからまた連絡するわ。』
と、なんともツンデレ極まりない回答をしてくれた。
らは化け物のようにうまい。下手なプロより上手いんじゃないかと思う。
彼の音源を紹介したいが、許可を得ていないので今回はやめておこう。
そんなこんなあって、『ダメ出し』の必要性を痛いほど感じた。
面識のある人物の楽曲だと、『悪いとか言ったら関係悪くなるかもしれない。』と、愛のない『いいね。』を言ってしまうのは理解にたやすいと思う。
それか『好き』『嫌い』だろう。言えて『私はあんまり好きじゃないな~。』ぐらいだろう。
『どの部分が好きではなくて、どのようにしたら良くなるのか』というアドバイス的なものがほしいという気持ちが常にあった。
私も彼らに会うまでは、聴かせる人聴かせる人に『いいね。』と言われ、正直天狗になっていた。
天狗のように怒張したモノを彼らにぶち折られた。
そんな、愛のある『クソだね』を言える隣人になろうと思ったわけだ。
本題 ①基本的にどの楽器がどこにあるのか把握せよ
スピッツ / 小さな生き物
本当にふけないな、波紋でも使ってるんじゃなかろうか。
そんなことはどうでもいい。
ギターとボーカルのみのパートから始まるところはギターが真ん中らへんから聴こえているに対し、
バンドインした後は左に寄っているのがわかるだろう。
バッキングは左、リードは右、ベースは真ん中、ドラムはライブで考えて観客席側から聴いたようになっている。
これが基本形だと思う。あくまで基本だ。
そんなことわかってるよ!という人間も多いだろうが、送られてきた音源はそれに準じていないものが多数を占めていた。
全部中央にあったり、デフォルトで基本の位置が決まっているであろうピアノが寄せてあったり、ストリングスが片方から聴こえるものもあった。
コーラスの位置はどこだろうか。ダブリングを使ってメインボーカルを包み込むようになっていないだろうか。
基本形があり、多くのアーティストはそれをわかった上でそれを弄ってくる。
凛として時雨なんかは弄りまくっているが、楽曲によって使い分けている。
邪推だが、弾けない楽器をDTM、パソコン上なら弾けてしまうので、どこに置いたらいいかわからなくなっているんだと思う。
そういうときは似たような編成でその楽器が入っているであろうアーティストの曲の音配置を参考にするといいだろう。
②切り返しを作れ
専門的に切り返しという言葉は市民権を得ていないと思うが、フィルインとほぼ同義で使っている。
フィルイン(Fill-In、「埋める」の意)とは、主にドラム(広義ではその他伴奏も含まれる)における演奏技法ある。 一定のパターン演奏を繰り返す中で楽曲の繋ぎ目の1~2小節で即興的な演奏を入れることを指し、楽曲のスパイス的な意味合いから日本ではオカズと呼ばれる。
フィルインの役割は主に伴奏にアクセントをつけることで楽曲を盛り上げることにあり、特にAメロやサビに移行する直前にはインパクトのあるフィルインが用いられることが多い。
(Wikipediaを少し添削)
このフィルイン、私は色んなところに存在していると思う。
楽器の試奏でこのリフを弾く人間は少なくなっただろうが、超名リフに変わりはない。リッチーブラックモア先生だ。
この曲のリフ、
ダッダッダー ダッダッダダー ダッダッダー ダッダー で一回しである。
この曲を例に、送られてきた楽曲の中でよく起こっていたことを表現するならば、
ダッダッダー ダッダッダー ダッダッダー ダッダッダー という感じだ。わかるだろうか。
ダッダッダーを一回しとして考えた、息の短いフレーズになってしまっていると言ったほうがわかりやすいかもしれない。
後者であれば、きっと流行らなかっただろう。
そういうものが非常に多かった。
歌メロにも同じことが言える。
winnie- forget me not
リードのザックワイルドっぷりが半端じゃない。
そんなことはどうでもいい。
Aメロが顕著だと思うが、歌メロ、繰り返しているようで間に切り返しのメロが入っている。
そのメロディから、Bメロへ自然に以降している。
サビもしつこいぐらい繰り返しているが、4回し目にメロを変化させている。
そういう部分が少なかった。
コードが4つで一回しだからといって歌メロがその通りである必要はない。
切り替えし、取り入れてみたらどうだろうか。
合わせて、この楽曲展開、フレーズも多い。イントロフレーズがもう一度終盤で出てくるとこロもアツい。参考になると思う。
③寄ったり離れたりを意識せよ
フレーズのためのフレーズになっていないだろうか。
きっとドラムを作ってから上乗せで考えていると察するが、上モノの乗せているんだと思うが、
上モノを撮ったあとにでもリフにドラムを合わせることをしているだろうか。
フレーズもドラムも単体で鳴っているいるように感じるものが多かった。
そういう狙いもあるだろう。
サザンオールスターズ- 希望の轍
かっこええ。
シンコペーションを多用で、ものすごい躍動感が出ている。
シンコペーション(syncopation、切分法)とは、西洋音楽において、ひとつの音がより劣位の拍(弱拍・裏拍)からより優位の拍(強拍・表拍)に鳴り続けることによって生じるリズムのことである。俗語として「食う」と表現する場合もある
例えば、『夢を 乗せて 走る 車道』の部分、全て小節の1拍目より半拍前にズレている。
わからん人は、この楽曲を 1・and、2・and、3・and、4・and と唱えながら聴いてみるといい。andのところでメロが始まっているだろう。
それだけでなく、この曲内でボーカルはほぼ全ての小節でシンコペーション、食っている。
CDだと顕著だが、バックが淡々としているのに、前へ前へ進まされるような感覚を受けるのはバックを無視してボーカルのメロディが先行しているからだと私は分析している。
この楽曲では歌メロが食っているが、どの楽器が食ってもいいし、当然食わなくてもいい。
だが、意識して作るのと意識せずよくわからないまま作るのでは雲泥の差があると思う。
私たちは凡人だ。先人から学んでいくしかない。
alice's camera - ferris wheel
桑田大先生のあとに自分の楽曲あげて、自意識過剰だと思われるかもしれないが、他人の曲だと本当に意識して作っているのか核心がもてないので、許してほしい。
1:55~の展開、ギターリフが2小節で一回しになっている、
一旦バンド全体でキメてから、2:04~ドラムが拍を無視したポリリズム的なアプローチをしている。
その後に安定したサビなので、なにか緊張感と解放感を感じないだろうか。
希望の轍を聴いて、何か一本がリズムを外すと緊張感のようなものがでるんじゃないかと思い、試してみた結果だ。
うっすらとしか聴こえないと思うが、サビとアウトロのストリングスはそういうイメージで少し外して入れてある。
いかがだっただろうか
本当はこの三倍ぐらい書いていたのだが、アツく書きすぎると某松岡修三氏のようにネタにされかねないのでこの辺にしよう。
ちなみに私は松岡修三、本気で尊敬している。彼が曲書いたらJAM PROJECTみたいなアツさを出すんじゃないかと常々思っている。
あと付け足すのならば、ボーカルの音程が大変なことになっている音源が多かった。
音痴というわけではなく、自分がどの音を歌っているかがわかっていないんだと思う。
なんでもいいので、音程が正確に出やすい楽器を用いてMIDIで音の長さを含め、歌メロを全部MIDIで打ち込んでみたらどうだろうか。
めんどくさいのは私も作っているので、わかる。
だが、細かいところで『まぁいいや。』となっている音源が評価されるとは私は思わない。
料亭の味噌汁がうまいのは丁寧にダシをとっているからだろう。インスタントも好きだ。とくに『ひるげ』が好きだ。日本人でよかった。
別に100mを6秒で走れとか空を飛べとか、そういうことではない。
歌メロ全部MIDIで打ち込んでみてから歌うのは、気持ち次第でやれることだろう。
そういう部分は、やるべきだ。私は全編歌ってみて、オートチューンを全開でかけて、外れる音を音取りしている。
音楽を作る者同士、お互い頑張ろう。
返信は遅いが、自作曲にダメ出しがほしいという愛すべきドM達、いつでもお待ちしている。
私のわかる範囲内で全力でコメントする。
また次の記事でお会いしよう。