会いたくて震える(真剣) 西野カナ
西野カナの書く歌詞を「会いたくて震える(笑)」と小馬鹿にするだけの口だけ馬鹿野郎がたくさんいる。
お前らのような口だけ野郎がどれだけ馬鹿にしたところで西野カナの人気は落ちない。
むしろ、ダメと言われるとやりたくなるように、実らない恋に燃えるように、彼女の人気は上がっていくだろう。
なぜ流行っているのか、というのは考察すべきだ。
今回は彼女の歌詞の魅力を3つの側面から考えていきたい。
ケータイ世代
色んな記事で書いていてお前それしかネタないんかいと思われそうだが。彼女を考えるのに必要な要素だ。
『会いたくて震える(笑)』と、小馬鹿にするやつは何を馬鹿にしているのだろうかと考えると。
①震えるな。
②会えよ。
の2つに分けられるだろう。うん、いや、もう、分けよう。
大事なのは②だ。会えよ。だ。
西野カナの歌詞が好きな人は、『会えていない』んだ。
会いたいという基本的に心理的側面の話だ。
しかし、相手とリアルタイムで時間や話題を共有できる『ケータイ』の存在が、その心理的側面を消し去っているんじゃないだろうか。
消し去ったあとに残るのは、距離という物理的側面だ。
その意味での『会いたい』なんだと私は思う。
ケータイによって心は近いのに距離は遠いという在り方が当たり前になっている。
その心のスキマに響いたのだと、私は思う。
匿名性
基本的に『私』と『君』ぐらいしか出てこない。
私以上に私のことを知っているのは君だけ
実に興味深い。(一度言ってみたかった) ここまで登場人物を削ったり余分なものをそぎ落とすのは難しいんじゃないだろうか。
このフレーズだけでなく、具体的な場所や心理描写もあまり出てこない。匿名性が高い。
そのため、自分の恋愛と重ね合わせやすくなっていると思う。
近くの西野カナファンに『西野カナくそだね!!マジ、特に歌詞がクソだね!!』と爽やかに言ってみよう。
爽やかという漢字は×がいっぱいあって爽やかじゃないと思うのは私だけだろうか。
そんなことどうでもいい。西野カナのファンは相当怒るだろう。それはもう激おこだ。
歌詞と聴き手の恋愛感情はリンクしているので、歌詞への冒涜は聴き手の恋愛感情への冒涜だと錯覚してしまう。
さながらクラウザーさんへの冒涜か~!を思い出す。
意図的かどうかはわからなないが、感情移入させてしまうような仕掛けが、彼女の歌詞にはある。
わかりやすさ
幼児向けの楽曲に、政治的背景を持ったrage against the machineのような歌詞を叩きつけてわかるわけがない。
当然、まりまりもるもるだったり、たらこ×2 だったり、その世代に向けた歌詞を書くだろう。
そう考えると、初々しい10代の恋に難しい言葉は必要だろうか。
彼女の歌詞は友達に向けた手紙のようなものが多い。
いかに饒舌多弁な人物でも、きっと友人に手紙を書くときは簡素な言葉になるのではないだろうか。
そういうものにこそ人間味が出ると思う。
友達、または恋人に書いている手紙のような歌詞なので、全てが雑談、無駄とも考えられるし、逆に一切の無駄がないとも言える。
彼女は語彙が多いほうではないかもしれない。
だが、その限られた語彙を使って表現するということに対して才能があると私は思う。
『で、結局何が言いたいの?』という歌詞も良く捉えれば哲学的だったり深みがあったりだとか言えるだろう。
『簡潔・単純明快』な西野カナの歌詞も幼稚、稚拙と捉えるのか、わかりやすいと捉えるのか。
それはリスナー次第だろう。
西野カナはケータイ世代が生んだ納得のアーティストだと私は思う。