ヤバイTシャツ屋さんはキュウソネコカミになれるのか
ヤバイTシャツ屋さんというバンド、ご存じだろうか。
名前からお察しの通りコミックバンドである。略称はヤバTだ。
古今東西コミックバンドといえばドリフターズを筆頭に色々と存在してきたわけだが、昨今のバンドシーンにおいて最も成功を収めているコミックバンドと言えばそう、キュウソネコカミだろう。
どのジャンルにも、いつの時代にも、先に成功を収めている先人がいるわけで、後発バンドが安心した老後を過ごす為にはそれらに打ち勝たねばならんのである。
ヤバイTシャツ屋さんにとってのそれがまさにキュウソネコカミだ。彼らのケツに食らいつくことがヤバTの大願成就だろう。
果たしてヤバイTシャツ屋さんはキュウソネコカミになれるのか。今回の記事ではそんなことを考えて行きたい。
ヤバイTシャツ屋さん
まず聴いてみようヤバT。
歌詞の字幕がなかったら普通に普通のバンド。地方大学の弱小軽音サークルの部長がやってる部内で一番人気があるバンドってだいたいこんな感じだ。
見るに、もちろん彼らとしても音楽性一点で勝負してるわけでなく、ライブ映像にも字幕を付けるあたりから察せられるように歌詞を見て欲しいようだ。たしかにいっぱいるよね、こういう大学生。大衆が思い描く大学生像ってそんな感じだ。
一旦結論を急がず、リファレンスとしてキュウソネコカミを見てみよう。
無表情でこの面白さ。9mm菅原卓郎と同じく笑いの神の祝福を受けし顔面だ。いるだけ、立ってるだけで面白い。
やっていることは全く同じ、ように見えて中身はまったく違う。ヤバイTシャツ屋さんがフワっと広範囲をなじるのに対して、キュウソの歌詞は本質のギリギリを突いている。攻撃力が違うのである。
ヤバTが歌詞中で指摘している「大学生は鳥貴・スポッチャ・ウェイ」これらはもう世の中に散々言われ尽くされている部分であって、確かに多くの大学生に当てはまる指摘ではあれど"万人の思い描く大学生像"という実体のないものを指さしているのに過ぎない。内容に真新しさがないのである。
対してキュウソ。
「サブカル女子はツアーを組まずに東南アジアへ渡航する」
こんなもん完全に特定の知人を思い描いてんだろ。万人に当てはまらないにしろ、確かにそういうボブメガネ女が存在しそうである。
しかも結構ボロクソになじりまくってるのに、当人たちがキレるギリギリの一線は踏み越えない。「軽薄なアイデンティティを保つために『サブカル女子だねー』とか言われるのは拒絶する」とかそういうガチの悪口を言って炎上したりしない。地下室TIMESはそういう部分見習えよホントにな。
強者が弱者を殴るという構図
ディスりによる笑い、というのは弱者が強者に噛みつくことで成立する。
「モテないブサイクが自虐をこめてイケメンを非難する」
強者は弱者に何を言われようとも基本的にノーダメージ。弱者がやっかみを以って惨めに噛みつくその構図が笑えるのである。
しかしその逆はどうだろう。
「叶姉妹、ホームレスを純金製のバットでリンチ」
最悪だ、炎上待ったなし。強者が弱者を殴ってしまうと見ている側としては弱者が可哀想で何も笑えなくなってしまうのである。
何が言いたいかというと、ヤバイTシャツ屋さんには"弱者感"が足りないのである。
ルックスも悪くないし、なによりこの手のバンドが男女混合編成なのは危うい。バンド内の男女間が大学生よりずっとウェイウェイしてそう。実際に彼らの性的な部分がウェイしているかどうかはさて置き、そういう風におもわれかねない空気がヤバいのだ。見てる側にとって大事なのは知り得ぬ事実よりも憶測から来る想像だ。
ヤバイTシャツ屋さんはキュウソネコカミなれるか?という表題でここまで進めてきたが、実際のところこの二者の向いている方向は全く違うようだ。
キュウソが歌詞の破壊力とライブのインパクトを重視したバンドだとすれば、ヤバTはストレートなバンドサウンドとそのサウンドあるまじき歌詞を武器にしたバンドなのかもしれない。
キュウソも昔はガラガラのライブハウスに突飛なテンションで登場して客のテンションを無視したMCで会場を変な空気にするバンドだった。
まだまだ若いこのバンド、コミックバンドには極めて珍しい女性メンバーと愚直なサウンドが磨かれれば、ひょっとするのかもしれない。