お前らに音楽の良し悪しなんかわかりやしない。
人間はただ生きているだけでも無意識のうちに様々な心理作用にハンドルを切られている。あなたが僕が「自分の意志で決めた」と思っているようなことも案外思い込みだったりで、バイアスや先入観、果ては洗脳に近いような誇大広告に催眠状態に陥っていることだってある。自分の頭で考えるのは大変な労力を要するし、その考えになかなか自信を持ったりもできないだろう。考えるのをやめて何かに誰かに騙され続ける方が精神衛生上良いのかもしれない。
たとえば、マクドナルドは従業員一同徹底して子供に「神対応」を行う。ハッピーセットで釣って、来たお子様たちに「マクドナルドにくると良いことがある!!」と思い込ませるのだ。そうするとキッズはペアレンツにリクワイヤートゥゲットゥマクダナル、アンダスタン?
音楽なんかまさにそうだ。僕らは何が何だかわからないまま音楽を耳にねじ込まれている。ねじ込んでくる奴らは言ってしまえば売り込みのプロ、人が何を求めていてどうしたら何にお金を払うか、それで飯を食ってきた人間たちだ。僕らが自分で「選んで聴いている」なんて思っていたとて、それは僕らが手に取りそうなところに手に取りそうなタイミングで手に取るように仕向けて彼らが画策し配置しているのだ。無防備な僕らはなす手段なくまんまとそれが「自分で選んだ良い音楽!」なーんて思いこまされてされてしまうワケだ。
音楽の金にならない時代だ。売る方だって形振り構ってはいられない。
僕らは良し悪しなんかわからないまま音楽を聴いている。
発掘観の演出
本屋を歩けば何らかでソートされた本たちがズラっと並び、僕らは何となく目に留まった本を流し読みして買ったりもするが、そんな本の並びでさえ売り上げを伸ばす為の工夫に満ちている。例を言えば目線の高さ以下にある本はちゃんと売れ線の本。これらをわざと目に留まるような位置に置き、フラっと買う人間を待っている。そりゃあそうだ、僕かあなたが本屋の経営者だったらそのぐらいの工夫するだろう。あまりいい例ではないが、言いたいのはこういう話だ。
そういえば最近人に勧められて行った書店では、なんと立ち読みしながらビールが飲めてしまう画期的なシステムを採用していた。気になる一冊を手に取りビールを飲んでいたら酔いが回り興が乗り何冊もレジに持って行ってしまった。酒代はその倍ついた。すごく良いお店でした。また行きます。
話がやや逸れたが、上記の本の例よろしく「発掘した!」と思い込ませるのはバンドにとってかなり重要な要素だ。最近じゃインディーズレーベルがニコ動内に「作業用BGM」の関連付けで自社バンドの楽曲を織り交ぜた動画をいそいそ作成してたりするそうな。またマーケティングを考えて、あえて大々的な宣伝を避けたり、イベントを避けたりで「アングラ感」を大切にしているバンドもたくさんある。
「私が見つけた!」
と思わせることが重要なのだ。それは愛着へ直結するし、当人のアイデンティティにすらなりえる。
流行っていると思わせる
もうこんなの常套手段も常套手段だ。なんでか日本人は巷で大人気のサムシングと期間限定のエニシングが大好きだ。僕も世田谷区を代表するアホの一人として、ポテチとか新しい味でると買わずにはいられない。
9mm世代とか、そこらへんの人ならもうみんながみんな首を縦にブンブン振ると思うが、マンウィズの出てき方おかしかったよね。変だったよね。まったく無名の色物狼バンドが、どのメディアを開いても猛プッシュ。心底不気味だった。気になる人は正体でも調べてみると良い。そりゃそういうこともある。
しかし擁護するなら、猛プッシュしても売れないもんは売れない。例えばガールズネクストドアーとか、剛力さんとか。どんなに広告を張り付けたって売れないもんは売れないのである。エイベックスのオッサンたちはリスナーを舐めすぎだ。さすがに。
右も左もわからぬ中学生だったら
「僕も素敵なロキノン男子になりたい!なにから聴けばいんだろう!?どれどれ…、このマンウィズってやつが流行りなんだ!!よーし好きになっちゃうぞ!!」
みたいな風に、なるだろ。僕ならなるよそりゃ。
混乱させる
主題はたぶんこれだろう。そこそこ音楽に精通した人間であっても、しばしば出くわしたことのない音楽に混乱状態に突き落とされる。例えば先日槍玉に上がった水曜日のカンパネラ、あれなんかまさにそうだ。
一聴したとき素直に「意味がわからん」そう思った。今でも僕には意味がわからん。せっかく寄稿してくれたありんこさんには悪いが、当時彼が書いた記事を今読み返してみようこれだ。
『うめこんぶ茶 ほうじ茶 減肥茶 ミネラル麦茶 ヒューマンネイチャー』『新茶摘まない つまらないやつに用はない』
聴き取れただろうか。この絶妙な少し舌足らず感にあえてめいっぱいリリックをつめこむという荒技が心をくすぐる。
千利休、かの有名武将、豊臣秀吉に仕えた安土桃山時代の茶人。普通ならここで終わりなのに、現代版仕立てになっている。ここまでラップ調でユーモアに展開するセンス、ズルい!!!
盲点作戦大成功といったところだろうか。
『マリー・アントワネット』、『桃太郎』、『竹久夢二』などなど。ざっくり、ひねりのないタイトルで興味を抱かせる。
読んだ当時から一年経った今改めて読んで、そうだな。全く意味がわかんねえ。僕には、わかんねえよ。啓蒙が足りねえのか。
僕が水カンについて何か書くならば
「あえてナンセンスな言葉を不規則に並べて意味ありげにし、無意味な動きを意味ありげに演出し、ハイクオリティな音楽で意味ありげにした意味ありげな無意味」
だ。気の狂った女を最高のバックミュージックで包んで揚げた。気狂い包揚げギョウザ。一口噛んだらあふれ出す意味不明に大混乱のプレリュードがコンセンサスみたいなニュアンス。コムアイが担ってる部分以外は本当に高度だ。非の打ちどころがない。しかしコムアイが真ん中にいなかったら、コムアイがここまで徹底して気がくるっていなければ、まず間違いなくここまでの大ブレイクは起きなかっただろう。
なんというかね、すげえ豪華なホテルのレストランで最大限恭しく出てきたフレンチが、家の近くの雑草みたいな味がしてもだね、僕はきっと真剣な顔で
「深い…」
とか言うわけだよ。ていうか最近行った友達の結婚式がそれだったよ。なんで草食わされたんだよ。水カンはそれに近いものを感じる。「理解できねえ」なんて大声で言った日にはネットに跋扈するセンスヤクザのみなさんに芸術マウントポジションを取られボコボコにされるんだろう。きっと「よくわからないけど周囲の自称音楽好きがこぞって褒めてるんだ……水カンは素晴らしいに決まってる」なんていう心理で、全員が全員水カンをほめたたえてるわけじゃないだろう。心の底から「これを待ってたんだ素晴らしい!」と思ってる人もいることだろう。じゃなきゃ喜劇が過ぎる。星新一のショートショートじゃないんだから。
他にも星野源やサカナクションとか、確かにそりゃ素晴らしい音楽だが「あえてこんなことするなんて…ハイセンス!!」みたいな、もう何やっても渋谷陽一が褒めたらお前ら褒めるんだろみたいな。ここいらにはそんな歪な秩序が平然と横たわっている。
「うわ!なんだこれよくわからん!→でも堂々と世に出てるってことはハイセンス…?→これがステキ!っていえるアタシハイセンス!!」
この方程式は、実際ある。僕だって中学校の時なんかまだ前頭葉がなかったからそんな感じで音楽聴いてた。だし今でも無意識のうちにやってるんだろう、きっと。みなさん器用に自分すら騙して「心底これがステキだと思ってる!」みたいな顔するし、この文章を読んで「ああ私のことだ」と素直に納得できるような清い人間、ほぼいないだろう。いたら手を上げなくてもいいから、各自今後無理しないように。身を亡ぼすぞ。
べつに加害者も被害者もいない
お前ら騙されてんぞ!みたいな口ぶりで話を推し進めたが、自我と無意識の境界線なんてものは明確にひけないわけだし、それ以前に、本人が幸せならいいのである。いくら売り込まれて手に取った音楽だとして、あなたがそれを好きな気持ちも、それから感じたなにかも、全て本物だ。否定される筋合いはサラサラないのだ。
聴いてる人間がそれぞれ違う以上、音楽に優劣は付けられない。死んだ爺さんとよくみてたポンキッキーズの曲とか、そういう補正も込みで自分の評価、でいいだろう。誰かに押し付けない限りはそれでいいはずだ。
もし音楽が好きなら余計なことに囚われず色々聴いてみてくれ、結局はそれが結論だ。
それでは。